海の都の物語「軍港都市からリゾート都市へ『ラ・ロシェル』」

2020年05月15日

大西洋に沈む太陽が港を深紅に染める頃、街はにわかににぎわい始める。ここはフランス・シャラント地方の港町で、シーフードのおいしいラ・ロシェルである。この都市は航海技術が発達した12世紀頃から、外航船の寄港地として名をはせた商港であるが、政治的、宗教的に実に複雑な歴史を有する。一時期はフランスでありながらイギリス王国に属していた歴史もあった。また、ナポレオンの時代は軍港として整備され、やがて第2次世界大戦ではドイツ軍に占領されて大西洋へ向けてのオオカミ(潜水艦)の巣窟となった。

ラ・ロシェル旧港入口の二つの塔。共に14世紀に築造され、右側は昔の火薬庫でサン・ニコラ塔、ここで2015年5月にレッドブル主催のクリフ・ダイヴィング競技が開催され、飛込み台となった。その時の観光客数は75,000人で街の人口と同等の入込客数。左側はシェーヌ塔(鎖の塔)といわれ、敵艦隊が攻めてきた時、塔と塔の間に鎖を張って戦艦の入港を防ぐ仕掛けがあった

港のゲートの一つシェーヌ塔からみた人と
プレジャーボートでにぎわう港

私が初めてラ・ロシェルを訪れた時、まさにオモチャ箱をひっくり返したように街中が喧騒(けんそう)に包まれていた。それはラ・ロシェル国際映画祭のただ中に到着したためであった。この映画祭は、カンヌ映画祭と比肩する欧州では有名な映画祭であり、それ故にホテルもB&Bも満杯で泊まる所がなく、途方に暮れたものであった。しかし、空港で借りたレンタカーが幸いしてホテル探しに役立った。自動車の利便性は時間と行動の自由性に富んでいるところであろう。当然、ラ・ロシェル周辺のホテルには空き部屋はない。そこで、地図を見ると北西に長い橋を渡るとレ島というセレブのリゾートがある。そこに行く途中で見かけたホテルやB&Bと折衝し、やっと一夜の宿を得ることができたという苦い思い出もある。

ラ・ロシェル市内の北には、第2次世界大戦時のドイツ軍の潜水艦基地として有名な巨大な要塞(Uボート・ブンカー)が廃墟のまま残っている。実は、ラ・ロシェルにはもう一つ要塞がある。その要塞はナポレオン・ボナパルトによって建造されたフォール・ボワイヤールという石造の要塞で、ラ・ロシェル旧港から南西へ18キロ離れた海上にある。城塞都市を守るための要塞構築は1802年に着工したが、完成した時には既にナポレオンは皇帝の座を追われ亡くなっていた。要塞までは、チェーン塔側の桟橋から観光船が1周2時間18ユーロで就航している。前回はフランス西海岸のSPAやタラソテラピーの調査が目的であったので、前回行きそびれたフォール・ボワイヤールを旅の行程に組み込んだ。この要塞は曰(いわ)くつきのもので、一時は牢獄、映画やテレビのロケ地などに利用されてきたが、施設の老朽化が激しく遊覧船が通過するビューポイントに過ぎない。当地の潮位差は5メートル以上もあり、この潮位差が要塞の建設を遅らせた要因の一つであった。実際、帰港した時には船を桟橋に着けるのがやっとで、周囲を見渡すと港の外には多くのプレジャーボートが干潟に鎮座していた。

観光クルーズの船内に貼ってあったボワイヤール
要塞の見取り図と築造の様子を描いたポスター

ラ・ロシェルから南西18キロ沖合にある
19世紀初頭にナポレオンが建設を命じたボワイヤール要塞

今回の旅で驚いたのは、私の知人であり国際的に著名な海洋建築家ジャック・ルージュリーが設計した水族館(ラ・ロシェル・アクアリウム)に出会ったことである。この水族館は海洋博物館と共にマリーナに隣接しており、展示内容は海中散歩を楽しみながら大西洋の魚介類に遭遇する設定になっている。
彼の設計事務所は、パリのセーヌ川に浮かんだ艀(はしけ)にあった。現在、彼は彼の名を冠した財団を創設して、海洋建築家を志す青少年を育成する活動に積極的に関わっている。日本で彼に会ったのは1981年に開催された神戸ポートアイランド海洋博覧会であった。彼が設計したMINAMIガラテ館の海中住居は、非常に衝撃的で、強く印象に残った。

海洋建築家のジャック・リュージュリーが設計したラ・ロシェル水族館。旧港内の二つのマリーナに囲まれたヤードにある


ラ・ロシェルのプレジャーボートは、旧港内に小型ヨットハーバーと大型ヨットハーバーを内包している。また、欧州最大のマリーナ(収容隻数約3,000隻、修理工場並びにヨット教室を併設)といわれているラ・ロシェル・ミニーム・マリーナは、市中心部から西南に位置するミニーム地区に設けられている。巨大なマリーナ故に周辺には国際色豊かなレストランが立地しており、訪れる人々を楽しませてくれる。市内からミニーム地区へ向けて自転車道路が整備されており、街からのアプローチには北斎の「波間の富士」のような巨大な波のモニュメントが築かれている。また、ディンギークラスのヨットハーバーはクラブハウスと艇庫を備えて至る所にある。街に最も近いのはコンキュラス・ビーチに設けられたクラブである。この街には海のリゾートの構成要素であるビーチが3カ所もあり、フランスのリゾート開発の基本である、人々の蝟集(いしゅう)を促す3S(太陽、砂浜、宿泊施設)整備を踏襲している。この地域は当然SPAやタラソテラピーも有名であり、世界のセレブが希求するアイテムにもなっている。最近は、パリにも近いことから、庶民の手の届くリゾート地にもなっている。注目すべきは、SPAもタラソテラピーも健康保険が利くということで、フランスの海辺のリゾートはどこでもにぎわっている。

ラ・ロシェル・ミニーム・マリーナの港口内部には、3,000隻以上のプレジャーボートのセールが林立している

海で活躍した人々の顕彰記念碑。一見、北斎の「波間の富士」を彷彿とさせ、砕波の一瞬を現している。その横には海辺に沿ってサイクリングロードが整備されている

城塞に隣接するコンキュラス・ビーチの小型ヨットのクラブハウス。子供たちがライフジャケットを装着してクルージングを楽しんでいた

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