海の都の物語 「ヨーテボリ:スウェーデン東インド会社の夢の跡」

2019年12月20日

仕事の関係で世界の港町や海洋リゾートを巡る機会は多かった。その中でもスウェーデン王国の西海岸にあるヨーテボリ(Göteborg)は、実に興味深い港町である。何が興味深いかというと、歴史的遺産が生活の中で生きている町で明らかに当時の雰囲気をそのまま残しており、素材や建築様式が異なる時代背景を物語る生き証人となっている。もともとヨーテボリは国王グスタフ二世アドルフが開発した港湾都市で、大航海時代から産業革命時代の造船王国を築き、現在では北海・バルト海クルーズの寄港する観光拠点となっている。ヨーテボリはスウェーデンで二番目の人口約51万人の大都市である。また、車のボルボの本社があることでも有名である。

かつての造船王国を築いたドックはヨットハーバーとして再利用されている

ヨーテボリの街を歩くと、17世紀から18世紀の大航海時代の遺産、19世紀の北欧ナショナリズムの時代の首都となり、20世紀には一大造船王国を築いたなど、古色蒼然(そうぜん)たる武骨なデザインの家屋が建ち並ぶ。一方、港湾都市の入り口にはクルーズ船が着岸するバースが整備され、近代的デザインのオペラハウスがシンボリックに建っている。また、町の広場にはポセイドンなどの海の神をかたどった青銅の彫刻が悠々しく起立している。さらに町の中心には国王グスタフ二世のブロンズ像が自慢そうに行きかう人々を睥睨(へいげい)している。また、広い街路に面したファサードには骨董屋と紅茶やスパイスを取り扱う店が多く目につく。どうして北欧の小さな港町で高価な中国陶器を扱う骨董屋があるのか、またスパイスを取り扱う店があるのか不思議に思ったものである。

左:市内を流れるヨーク川に面したリラ埠頭とオペラハウス。埠頭にはプレジャーボートや漁船が舫われている
中上:スウェーデン西海岸に造られた天然の地形を利用したマリーナ。入り口に設けられた木製の波除柵には驚かされた
中下:夏にはプレジャーボートでにぎわうリゾートアイランドであるマーストランド島。
   写真の中央の黒い建物は14世紀に築城された要塞である
右:ヨーテボリ市内の骨董屋の内部には、大航海時代に活躍したスウェーデン東インド会社の帆船模型と、
  陳列棚には中国陶磁器が並ぶ

左:町を睥睨するように見渡す国王カール九世の堂々とした馬上姿の彫像
右上:スウェーデン東インド会社の本社は市立博物館となり、前庭にはポセイドンの彫像と噴水がある
右下:ポセイドンの像に水を吹きかける半魚人の彫像

この背景にはスウェーデン東インド会社(SEIC)の影響がある。この会社は18世紀の中頃に設立されており、中国広東との貿易が主であり、その主な取扱商品は「茶」であった。ヨーテボリに輸入された茶はヨーテボリを拠点にヨーロッパ各地へ中継輸出されていたという。それまで英国が独占的に茶を取り扱っていたため極めて高価なものであったが、ヨーテボリへ輸入された茶が価格破壊のきっかけとなった。これ以降、ヨーロッパの茶は王侯貴族や裕福な階級から一般の庶民が喫することができる低廉な価格になったのである。ちなみに、東インド会社と称する社名は、イギリスをはじめとして、オランダ、スウェーデン、デンマーク、フランスなどに同名の会社が設立されている。特に著名な会社はイギリスとオランダの東インド会社である。スウェーデン東インド会社は別名スウェーデン広東会社とも言われていた。

IMC(国際マリーナ経営者団体)の国際会議に参加した際には、ホスト国の配慮で、チャータークルーザーで西海岸に点在するマリーナ、ヨットハーバーを視察しながら、マーストランド島まで航海し上陸した。マーストランド島は夏季には多くのヨットが蝟集(いしゅう)する夏のリゾートである。島の高台には黒い円形の塔がそそり立つ城塞があり、周囲には13世紀のノルウェー様式で造られた白壁の木造で赤い屋根瓦を葺(ふ)いた建物が対照的に港から城塞まで、なだらかな丘状に合わせて町を形成している。マーストランド島には自家用車がないので、ベネチアと同様なペデストリアンだけの町である。人口はわずか1,200人程度であるが、スウェーデンで有名なヨットのマッチレースが行われる島である。ここで優勝したセーラーは、スウェーデンの代表選手として国際レースに参加することができるようである。

ご承知の通りフィヨルドの海岸は、どこでもマリーナ、ヨットハーバーの適地である。インナーハーバーの小島には瀟洒(しょうしゃ)な夏の家(Sommarstuga)が建ち、ヨットやカヌーが浮かび、別荘の外にサウナ小屋がポツンと建っている。すべての船は、マリーナに雪が降り、海が凍るまでには陸に揚げられる。それゆえ、マリーナの陸置き面積は大きく、多数のプレジャーボートを揚陸できるような敷地を有している。特に驚いたのは、極めて簡便なマリーナの防波堤で単に木の柵である。頑丈に構築されていてもせいぜい土塁が柵の内側を補強しているに過ぎない。また、ヨーテボリの港湾内には造船ドックが設けられているが、アジア諸国の安価な労働力に駆逐され、今やマリーナに改変されていた。かつて造船業が盛んな時代には町のシンボルとして稼働していた巨大なクレーンは、今やマリーナの名前を宣伝する看板に落ちぶれていた。

海辺のまちづくり研究所通信トップに戻る