海の都の物語「サンフランシスコ・ベイエリアの再開発」

2017年07月03日

「海の都の物語」の初回として、どこの都 からスタートを切るか思い悩んだ末に、サンフランシスコを選んだ。それにはいくつかの理由がある。サンフランシスコ・ベイエリアにはさまざまな魅力がある。ユニークなライフスタイル、IoTなどの先端的な情報発信、ファッションやアートの都として知られ、食文化にも優れ、個人的に憧憬と愛着を有するからである。
サンフランシスコは日本人にとって、とてもなじみのある港湾都市である。古くからアジアとの窓口として、また国際都市として栄えてきた。現在は西海岸における金融及び保険産業の中心地であるほか、サンタクララ郡を中心とするシリコンバレーにおける半導体や情報通信などの先端技術研究は世界でも主導的な役割を果たしている。
またそのリベラルな土地柄から、文化、芸術などでも多様な発展を見せている。日本人のなじみの歌に「サンフランシスコのチャイナタウン」や「想い出のサンフランシスコ」があり、私のようなオールドボーイはついついカラオケでリクエストするような歌である。
しかし、若者はこのようなセンチメンタルでウエットな歌には見向きもしないであろう。それよりも、孫正義やビル・ゲイツのように、シリコンバレーに埋もれた金塊を探し当てる方が現実的な夢であろう。また、サンフランシスコの人々は食通が多いといわれ、少なくとも1980年代末までは市内でファースト・フード店を探すのは難しかった。それ故、KFCやMacは市内に進出できなかったのである。それを誇りとして観光客に自慢げに語る人々が多かった。

堀江さんの〈マーメイド号〉が
展示されている国立海洋博物館

左にゴールデン・ブリッジを望むSt.Francis Yacht Club

有名なレストランは多数あるので、どこかの有名なレストランを紹介するつもりはない。しかし、私が訪問するたびに訪れて注文するおいしいコーヒーがあるので紹介しよう。その店はフィッシャーマンズ・ワーフ入り口の近くにある、ケーブルカーの終着駅に隣接したブエナ・ビスタ・カフェ(Buena Vista Cafe)という古色蒼然たるコーヒーショップで、私が注文する飲み物はアイリッシュ・コーヒーである。
おいしいアイリッシュ・コーヒーのレシピは、事前に温めたワイングラスに二つの角砂糖を入れ、そこにフレッシュな入れたてのコーヒーを注ぎ、それから徐々にアイリッシュ・ウイスキーを注ぐ。これで終わりではなく、最後にホイップした温かいミルクをグラスに注ぎ足すのである。寒い日にはとても体が温まる飲み物だ。
夏のサンフランシスコは青い空、青い海をイメージして暖かいと思われがちだが、決してそれほど暖かい所ではない。8月は霧の月ともいわれ、住民はフォーガスト(Fog+August)と呼ぶ。盛夏のサンフランシスコの街中を歩いていると、毛皮のコートを羽織った女性やTシャツを着た若者に出会う。当然、毛皮のコートの下はタンクトップでショートパンツだったりする。このようにサンフランシスコは季節を超越した不思議な街なのだ。


始まりはティー・パーティー

そしてサンフランシスコはウォーターフロント開発、ベイ・プラン(港湾計画)を実践した街として有名である。特にサンフランシスコ・ベイ・プランは全米や世界の沿岸域管理の先駆けであり、それは湾を見下ろせる場所で開かれたティー・パーティーから始まったといわれている。
1960年代にサンフランシスコ・ベイ・プランが計画されたころ、ティー・パーティーに集まった婦人連がサンフランシスコ湾を見下ろすと、眼下に大規模な埋め立て工事が行われていたのを発見し、その開発に待ったをかけたところから、環境保全と開発の調和がとれるように提案されたCoastal Zone Management(沿岸域管理計画)が成立した。その思想は今では世界のスタンダードとなっている。
サンフランシスコ湾を1ヘクタール埋め立てると、東に位置するアリゾナ砂漠が1ヘクタール西に前進するといわれている。ティー・パーティーはアメリカの独立戦争の契機となり、緑の党のシンボルとなっている。
また、ウォーターフロント再開発はボストンやニューヨークが先駆けといわれているが、サンフランシスコの対岸のオークランドにある工業港湾再開発の一環で環境整備されたジャックロンドン・スクエアーも有名である。このウォーターフロント再開発はピア39の後背地にあるギラルデ・チョコレート工場跡地の再開発から始まったといわれている。
ギラルデ・チョコレート工場の正面にとても小さな国立海洋博物館が建っている。ここに、堀江謙一氏が太平洋を単独横断した時に使用した〈マーメイド号〉(キングフィッシャー型19フィートのスループ)が展示されている。信じられないほど小さく見劣りする外観で、華奢(きゃしゃ)なヨットである。私はその小ささをけなしている訳ではなく称賛しているのである。よくもこの船で3カ月間、孤独に打ちひしがれ、過酷な自然現象と闘いながら太平洋を横断したものだ。ゴールデン・ゲート・ブリッジを見た時の感動は如何ばかりであったことか。
サンフランシスコ湾の北側には多数のヨットクラブやマリーナと呼称する係留施設がある。サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジからピア39近くまでの沿岸部に五つの係留施設やクラブがあり、対岸のバークレイ地区には6カ所の係留施設とクラブがある。アメリカには障害者法に基いて、レクリエーション施設には必ずユニバーサルデザインの器具、施設を整備しなければならない決まりとなっている。そのために支援する組織も整備されている。そのため、

サンフランシスコ湾にはベイエリア障害者支援協会(Bay Area Association for Disabled Sailors)がある。
この協会の運営は基本的に利用者の会費と国や自治体の助成、民間企業からの寄付によって成り立っている。障害者は個人参加で年間50ドル、その家族は年間100ドル支払えば年間を通じてセーリングを楽しむことができる。障害者が単独で帆走や機走する際には、ボートが1艇伴走する制度など、安全に対する配慮も万全だ。もちろん、小型ヨットの艤装もスタッフが支援する。
日本にもブラインド・セーリング協会などの組織があるが、利用できる施設は特定の施設に限られ、全国規模とはなっていない。サンフランシスコでは各ヨットクラブやマリーナには、障害者がアクセスしやすいように簡便な小型クレーンが設置してあり、補助者がいなくても乗船可能なようになっている。ピア39マリーナのような公共マリーナには、斜路用のエレベーターが整備されている。これも補助者なしで車椅子ごと乗降が可能となっている。
日本では蒲郡市の港湾に整備されたバリアフリーポンツーン「マンボウ」があるが、その整備費用は高額であり、大げさすぎるきらいがある。サンフランシスコのガスハウス湾のコーブ・マリーナの小型クレーンは手動式の昇降機。この装置はとても簡便で設置費用も安く、障害者が利用する際に人々の注目を浴びるような装置ではない。

オーパス・ワンのワインセラー

ハウスボート・コミュニティーの桟橋地図


ハウスボート・コミュニティー

サンフランシスコからゴールデン・ゲート・ブリッジを渡った右側(東側)にはサウサリート(Sausalito)という地区があり、ハウスボート・コミュニティーを形成している。ハウスボートというのは、陸上の住宅と同じ形状をなし、それが水面に浮かぶ基礎の上に築かれていることである。これもサンフランシスコの先進的な人々のライフスタイルの一つである。ちなみに、ボートハウスとは、ボートを風雨や雪から守るために建設された艇庫である。
ハウスボートはサンフランシスコと北方のシアトルとでは基礎の造り方が異なる。比較的温暖なサンフランシスコ湾のハウスボートの基礎は、浮き基礎の役割と寝室とを兼ね合わせており、水中にコンクリートの浮き基礎が没水している。水中部にある地下1階の寝室は、床から天井までの高さは約2.5~3メートルある。サンフランシスコ湾の水温は夏冬一定の温度で15度前後といわれている。すなわち、寝室を海中部分に置く意味は、夏に涼しく、冬暖かいという特性を生かしているのである。
それに対し、シアトルのハウスボートの基礎は、厚さ30センチメートル程度とかなり薄い。それは冬期の水温が2~3度と低温であるため、寝室を地下部分に設けるのは不自然だからである。ハウスボートは建築基準法(米国AIA基準)が適用されており、転倒モーメントの観点からトップヘビーにならないように規定されている。それ故に、重心が下になるように、風呂や水槽は上階に設置しないように指導がなされている。そのような状況を配慮して、ハウスボート・コミュニティーは固定桟橋を中心に振り分けられて係留されている。固定桟橋の床下にインフラとなる上下水道、電線、電話線を設置。固定桟橋の上には配電盤や消火栓が10数メートル間隔で配置されている。なお、トイレなどの下水は桟橋ごとにポンプ室があり、フラッシュのたびに陸の本管に真空輸送されている。

サウサリートのハウスボート・コミュニティー

サウサリートにはこのようなコミュニティーが固定桟橋ごとに形成されており、コミュニティーの数は12カ所、ハウスボートの総計は451邸(艇)である。対岸のバークレイ近郊にも5カ所のコミュニティーがあり、ハウスボートの総数は81邸。このようなハウスボート・コミュニティーはマリーナやヨットハーバーに隣接しており、ウォーターフロントに住宅を購入できない人々にとって、ハウスボートは得難い資産と環境になっている。


カリフォルニア・ワイン

サンフランシスコから北へ自動車で1時間ほど行くと、突然ワインの香りが町全体にあふれる。両側に葡萄畑とワイナリーが点在しているのだ。ナパやソノマはカリフォルニア・ワインのメッカである。最近、サンフランシスコの人々はオーパス・ワンの高騰に嫌気がさしているといわれている。
その原因は中国人と日本人の観光客の増加である。オーパス・ワンは10年前までは100ドルくらいだったのが、今では1本365ドル、日本では4万5千円以上となっている。そうはいってもフルボディのオーパス・ワンは豊潤で濃厚な香りと味わいを与えてくれる。
アメリカにいるときは300ドルでも高いと思わないが、日本で飲もうと思うと財布の紐が固くなる。酒は訪問地の酒に敬意を表して現地の酒を飲むようにしている。このエッセイを締めくくるに当たり、良き友人であり沿岸域管理の師匠でもあったグエノック・ワイナリーのオーナーであった故オービル・マグーンに一献捧げつつ、彼が醸造した1997年ものの赤ワインの口を開ける。
 

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