海の都の物語「ベルギー・オーステンデのニューポルト・マリーナ」

2018年01月05日

これまでベネルクス三国の街についてはさまざまな観光ガイドブックで紹介されているので、比較的注目の度合いが薄いベルギーのオーステンデ(Ostende)について紹介してみよう。オーステンデは海浜リゾートとして有名な都市であるため、夏のオン・シーズンには人口約7万人の都市が10倍以上の観光客であふれるという。そのため街の建物の多くが長期滞在者用の貸別荘、レンタルルームとして建てられている。

自走式のホイスト、海中でベルトをかけて
ヨットを抱えてスリップを駆けあがる

18世紀後半のオーステンデへの
海水浴客を誘致するポスター

IMCという国際マリーナ協議会が2006年11月中旬にオーステンデで開催された。街は冬景色に包まれ、行き交う人々は厚手の防寒着をまとって、あたかもフランスのミシュランタイヤのキャラクター、ムッシュ・ビバンダムのようであった。

海岸に吹き寄せる風は冷たく、打ち寄せる波は荒々しく、雲はどんよりと重く垂れこめていた。また、観光客が来ない冬こそが海岸整備の格好の時期なのだろう。海岸には砂を積んだトラックが多く見られ、ブルドーザーが砂をならしていた。海岸には浸食を止めるために規則的に突堤が砂浜から海へ突き出していた。

オーステンデの駅舎はとても重厚感のある建物で、その前面にプレジャーボートが浮かぶメルカトール・ドック(Mercator Dock)がある。なんと羨ましい情景ではないか。いわゆる職住遊一体型の街であり、ヨットマンには憧れの街といえよう。また、駅舎の背後にはフェリーターミナルがあり、列車を降りた客は直接港へとアクセスができる。列車の後ろにはドーバー海峡を結ぶフェリーが見える。

オーステンデ駅舎を背景とした都市型マリーナ

ニューポルト・マリーナの航空写真 

IMCのベルギー代表委員で、ニューポルト・マリーナのオーナーであるスティーブンが街を案内してくれた。最初に訪れたところはフェリーターミナルであった。

1846年にイギリスとベルギー間でフェリーが就航したという。次に訪れたのは、海岸に面して大きく厳めしい五角形をしたナポレオン要塞であった。そして夜にはカジノでアイスブレイク・パーティーが開催された。夏には人々の熱気で満ちあふれていたことであろう。

翌々日が本番の会議で、オーステンデから東南方向へ15キロ離れたエイゼル川の河口部に位置するニューポルト・マリーナで開催された。マリーナの保管艇数は約1千隻で、ベルギーで一番大きなマリーナである。クラブハウスはコンベンションが開催できるほど広く大きかった。ニューポルト・マリーナで驚いたことは二つあり、その一つが自走式のホイスト・リフティング・クレーンである。もう一つは欧州のマリーナに共通して見習うべき、環境に優しいマリーナ管理である。そのためにゴミの分別は細かく規定されている。

IMCの会議終了後のレセプションには、スティーブンが朝早く起きて釣った舌ビラメのムニエルが供された。とても美味しい料理で、イギリスで食べたドーバーソウルよりも小ぶりであったがほどよく脂ののったヒラメであった。

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