通信No.8 海の言葉⑧

2013年04月16日

【塩という漢字】

「塩分salinity」の語源が「塩」および"salt"であることは前回述べた。では、塩とsaltという言葉の語源は何だったのかを調べてみよう。

まず、「しお」という日本語の語源をみてみよう。これに関しては、多くの諸説がある。生存にかかわる言葉は、文字がない前史時代から使われていたはずだから、その起源が不鮮明になっているのは当然である。

「しお」の語源説は、小学館「日本国語大辞典」に収録されているだけでも9説あり、それらの出典は13点あげられている。「うしお(潮)」および「しろい(白い)」に起源するという説がともに2説ずつ、それぞれ4出典で、双璧である。他の5説5出典のうち1説は「干す」、「乾かす」に通じるとしており、残りの4説は味などに関係している。

ここでは、古代の日本人が塩と海との間に強い関連を意識していたのか否かが興味の的である。
塩といえば岩塩を連想する国と比較したいからだ。そうならば、海塩も岩塩も味は変わらないので、味に関連する4説は検討から外すべきである。そうすると、古代日本人は、「潮」が「乾いた」後に「白く」残る塩を当然の存在と見ていたこと、すなわち彼らの心象では塩と海が深く関係していたことが分る。後に「鹽(塩)」という字が渡来したとき、これを「しお」と訓じたのだろう。
因みに、検討外とした4説にも岩塩を連想させるものはない(谷口1987「海洋と生物」No. 49: 88-89参照)。日本には岩塩がないからだ。

つぎに「鹽」という漢字の起源をみてみよう。古代中国文明は主に黄河の中上流域で発祥したのだから、漢字なども海とはほとんど関係なく発明されたにちがいない。
後漢の時代、西暦100年ころに完成した字典「説文解字」には "鹽は鹵なり。天の生ぜるを鹵といい、人の生ぜるを鹽という"とあり、意味は鹵(ろ)に通じ、読みは監(かん)に通じること、"古者海水を煮て鹽を作った"と説かれている。後段をみると、古代中国でも塩と海の関係が意識されていたかのようにみえるが、その事情は日本とはかなり違っている。

"天の生ぜる鹵"とは何か。同じく「説文解字」は"鹵は西方の鹹地なり"、すなわち半砂漠の塩地だと説いている。鹹地に産する岩塩も「鹵」であり、「鹽」とはいわない。鹵は耕作に適せず、人を寄せつけない厳しい環境である。アルカリが析出した土壌は、舐めれば鹹(からい)だろう。東方では塩地を斥(せき:潟、干潟)といい、海水による塩害を連想させるが、これもやはり天の生ぜるものであり、"人の生ぜる鹽"とはちがう。

鹹地の地下水や海水を煮詰めて作った、すなわち"人の生ぜる"「しお」も舌に厳しい刺激を与えるから、"厳しい"という意味をもつ「鹽」という字をあてたといわれる(佐々木1992「食塩と健康」第一出版、<http://www.music-tel.com/naosuke/nao-h/salthealth.html>にも詳しい)。

以上のように、古代中国では、海塩は従であって主ではなく、塩と海との連関は意識されていなかった。多くの点で中国文明は海とは疎遠であり、海と深く結びついて発達した日本の文明とは大いに異なっていたのだ(谷口1987「海洋と生物」No. 52: 328)。

Posted on April 16, 2013

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