通信No.10 海の言葉⑨

2013年10月11日

【Salt】

本シリーズのNo. 8では、古代中国で海とは関係なく作られた「鹽」という字が、日本では海との関係が深い「しお」と読まれるようになったと述べた。今回は、西洋における「塩」という語には「海」との関係があったのかどうかをみてみたい。

「塩」は、英語では「salt」であり、このスペルはスエーデン、デンマーク、ノルウェーでも同じである。スペインとポルトガルでは「sal」、ドイツでは「Salz」、イタリアで「sale」、フランスで「sel」であり、いずれもスペルは似ている。古い時代のラテン語でも"sal"だったから、これらの言葉はラテン語に起源したようにみえる。

しかし、このラテン語自体、他の語とともに印欧祖語(Proto-Indo-European)の“*séh₂l-” “*séh₂ls”から同時発生したものだという。すなわち、多くのラテン語の起源となった古代ギリシア語圏(άλς=háls)や、遠いインド圏のサンスクリット語(सलिल =salila)もふくめて、B.C. 30-40世紀以前に広まった言葉だった。生命の根幹にかかわる言葉は、最も古い時代から印欧語圏全体にわたる共通語として存在していたことが分る。

さて、この印欧祖語が「海」と関係していたか否かが本稿の興味である。

当然ながら、同じ語は古いスラブ語圏(スラブ祖語Balto-Slavic)にも定着していた。ところが、面白いことに、そこでは「甘い、甘くする」、さらに「かわいい」という意味へと拡大している。塩を知らなかった昔の北欧民族が初めて塩味の料理を食べてその旨味に驚き、以後塩を貴重品として扱ったこと示す古話があるから、「塩」から「美味い」を経て「甘い」へと拡大したことは、ふしぎなことではない。
このように、まるで反対語のような言葉への拡大が起こったにもかかわらず、塩から海を連想した事実を示す歴史的な例は、中国語同様、印欧語にはほとんどない。広大な印欧語圏に塩を広めていたのは古代ケルト人で、彼らはアルプスの岩塩を採掘、交易していたのであり、彼らの生活や文化も、古代中国文明同様、海とはほとんど無縁だったのだろう。そこが日本との大きな違いである。

ただし、例外がある。古典ギリシア世界では、ケルト人によってもたらされた塩から海が連想されたのである。
ギリシア語の「άλς=塩」は「海」をも意味する言葉になったのである。ある辞書には、“άλιαίετος άλς”は“Sea eagle”すなわち“Osprey”だという例が示されている。

古典ギリシアの文芸をみても、彼らが海に親しんでいたことがよく分る。
世界史でも、初めての海洋国家としてフェニキアとギリシアがあげられ、中でも海洋を基盤にすることで世界をリードしえた初めての国がギリシアであったといわれる。
海とは縁遠く、農耕を基盤として軍事大国になったペルシアやエジプトは、国土も人口もはるかに小さい後発国ギリシアに圧倒されてしまった。そのかげには、「海洋国家」への道を選択するという歴史的な国家戦略があったのだ。海を制する国が世界を制するという思想を説いて強大なペルシア軍の攻撃をしのぎ、ギリシアを世界に冠たる海洋国家へと導いたテミストクレスの思想は、後の世界史を動かしたリーダたちの思想的背景となった。

Posted on October 11, 2013

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