通信No.11 海の言葉⑩

2015年08月11日

【大航海時代へ】

古典ギリシア世界は、印欧語圏や中国文化圏内で、「塩」から「海」を連想した例外的な国であった( 海の言葉⑨ )。

ギリシアの人々は、海に親しみ、海を利用し、海外へと発展していった。
480 B.C.には、サラミスの海戦で大国ペルシアに勝利し、世界に冠たる海洋国家となった。海を支配する国は世界を制するということを、歴史上最初に証明した国であった。この思想はその後の西洋へと引き継がれ、他国に先んじて海を支配した国が世界をリードするということが、歴史上なんども繰り返されることになった。

最初の目覚ましいできごとは、15世紀末のポルトガルとスペインによる新航路開発であった。
ポルトガルはインド洋を経由して東洋との交易路を確保し、スペインは西インド諸島から新大陸アメリカに植民地を築いていった。
それぞれの領域を拡大しつづける両国は、その前線で惹起される係争を避けるために、世界を二分するに至った(1494年トルデシリャス条約、1529年サラゴサ条約)。その結果、両国は、それまでの西洋経済を支配していたイタリアの都市国家群をしのぎ、世界貿易を支配する大帝国となった。
海を制したことで、世界を制したのである。後れをとった諸国もつぎつぎに新航路開発と植民地開拓にのりだし、西洋はいわゆる大航海時代へと突き進んでいった。

それまでの西洋は、原理主義的なキリスト教の下で、古典ギリシアの深い思想、人間性に富んだ文芸、優れた科学技術などを圧殺していた。後に暗黒時代といわれるようになったこの時代は、ほとんど千年間も続いた。
この間、古典ギリシアの叡智を継承したアラブ世界は闊達に活動をつづけ、インドや中国との交易を独占していた。それを西洋へと仲介して経済力をたくわえたのがイタリアの都市国家であり、その活動を通じて、古典ギリシアの叡智は徐々に西洋へと回帰してきた。
やがて、活きいきとした人間性への目覚め、自然の正しい理解は西洋全体へと拡がった。ルネッサンスである。そのなかには航海術もあり、地球が丸いという知識もあった。地球が丸いなら、アラブが制しているインド洋を避けて、反対側の西へ行けばインドに到達できるはずだと、コロンブスは考えたのだ。

遠洋航海には欠かせない、天文学、コンパスなどの航海機器、風上にも進むことができるラテン帆などはアラブから伝わり、大航海時代を支えた。
アラブからの知識や技術にいち早く接したのはイタリアで、ルネッサンスもイタリアから興ったのに、イタリアは海洋国にはならなかった。アラブとの仲介交易の独占にこだわったからだろう。そのイタリアに対抗して、直接インドや中国へ行くことをめざしたのがポルトガルとスペインであり、オランダ、フランス、イギリスなどがそれに続いた。これらの諸国は大航海時代を通じて繁栄し、新世界へと版図を拡大し、西洋世界における国際秩序を大きく変化させていくことになる。
発展する西洋諸国はやがて衝突するようになり、激しく争うようになった。制海権をめぐる大海戦が幾度となく繰り返され、世界帝国の座もその都度変転することになったのである。

Posted on August 11, 2015

生物生態研究所通信トップに戻る