通信No.14 海の言葉⑬

2016年04月19日

【栄養塩:レッドフィールド比と生物ポンプ】

前回みたように、海洋の生物過程にはレッドフィールド比が成立しており、それは、沿岸から外洋、北極から南極、表層から深海まで、地球の海における生物過程を律するユニバーサルな「原理」だと理解されている。

一方、生物が機械的な化学反応系ではないことは広く知られている。
植物プランクトンも、環境や生理状態によって栄養塩の摂取法を調節できるし、群集の種組成も変化する。にもかかわらず、数十万種以上ともいわれる多種多様な海洋生物の体元素組成が、変異があるにしてもせいぜい一桁程度の変異幅に大部分が収まっているのは、なぜか。

海で誕生した最初の細胞が、周りの海水中に存在する資源をむだなく活用するためにこの比を選択した、というのが最も自然な説明である。
それから進化した海洋生物にとっては、この比からなる生命活動装置「原形質」を引き継ぐのが最も効率的であったに違いない。もちろん、炭酸カルシウムの殻や骨格で細胞や体を保護する甲殻類や貝類などの生物は、高い比率でCを(もちろんCaも)保持しているが、原形質の組成は他の海洋生物と同じである。

分裂増殖する植物プランクトンでは、この斉一性はさらに際立つ。母細胞と娘細胞、さらにその子々孫々の細胞の元素組成は変化することがない。
したがって、必要な元素が環境水中にその比率で存在していれば、植物プランクトン群集は全元素を無駄なく利用しながら世代をつなぐことができる。反対に、その比率よりも少ない元素がひとつでもあれば、他の元素がいくらあまっていても、植物プランクトンの生産は制限される。

実際の海で度々制限要因になるものは「栄養塩」と呼ばれる。具体的にはN、P、Siであり、最近はFeも栄養塩として認識されるようになった。他の必須元素は、不足することがないので栄養塩とはいわない。必須元素のすべてが栄養塩なのではない。

植物プランクトンの増殖速度は速いので、制限要因になっている栄養塩を与えれば、急速に増殖する。それ以上早く増える動物プランクトンは希なので、富栄養に傾いている沿岸域に、それまで制限要因になっていた栄養塩が入ってくると、急速に増殖する植物プランクトンは大量に食い残されて、赤潮になる。赤潮はやがて下層に沈んで分解され、貧酸素水の原因となることが多い。同様のことが大水深の外洋域で起これば、沈降する植物プランクトンやその派生物であるデトライタスは深海へCを除去することになる。
これが、いわゆる「生物ポンプ」である。

生物ポンプを人為的に駆動し加速することは、地球温暖化への有力な対策だといわれている。
前回みたように、太平洋の高緯度海域や赤道湧昇域ではFeが律速要因になっているためにNやPがあまっている。栄養塩があまっているのに植物プランクトンが少ないから、High nutrient – low chlorophyll (HNLC) 海域といわれる。ここにFeを散布すれば、モル数でその106,000倍のCを生物ポンプに送り込むことができるはずだ。この予測の根拠が、レッドフィールド比である。そして、それがどこまで可能であるかを決めるのはNやPの現存量と補給量であるから、その限度を計る根拠もまたレッドフィールド比にあるのだ。

Posted on April 19, 2016

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