通信No.15 海の言葉⑭

2016年05月24日

【栄養塩:環境調査における栄養塩測定の目的】

栄養塩濃度をモル濃度で示すことは、海洋の生物過程を理解し、また、予測するために有利な方法である。
その理論的背景が、レッドフィールド比であった。ある海域である栄養塩が検出されたときには別の栄養塩が枯渇していると考えて良いということもまた、レッドフィールド比の教えるところである。そこへ枯渇栄養塩がたまたま補給されると、制限が解除され、必ず植物プランクトンは増える。
植物プランクトンがかくも緊密な栄養塩への依存性を備えるようになったのは、海が水の世界であり、しかも深いからである。

植物プランクトンの生産物はさまざまな形態の有機物として沈降し、動物プランクトンや魚類などの体としても深海へ運ばれる。その中に栄養塩物質が合成されている。
沈降した有機物が深海で分解しても、光のない環境では再生された栄養塩は有機物生産に寄与できないから、この沈降は表層からの栄養塩の損失を意味する。しかも、粘性や密度が大きい水は混合しにくいから、深海の栄養塩は容易に表層へ戻ることはない。
その結果、海洋の表層は恒常的に貧栄養環境になっており、そこで光合成する植物プランクトンは栄養塩を極めて効率よく摂取する能力を獲得しなければならなかったのだ。

ただしそれは、余すところなく栄養塩を摂取するという効率ではない。
自分の体を維持し、自分と同じ体組成の子孫細胞群の生産へとつなぐために、レッドフィールド比にしたがって摂取するのが最も効率的だという意味である。その過程で、何かひとつでも枯渇するとすべての栄養塩の摂取は止まり、他の栄養塩は余るのである。

この現象は、農芸化学分野でリービッヒの最小律(Liebig's law of the minimum)として知られている。
ただし、陸上生態系では、栄養塩よりもさきに、水、光、あるいは植物群落の密度が制限要因になることが多い。
陸上では、栄養塩を供給する有機物が地下の根圏をおおう土壌の上に堆積するから、分解再生された栄養塩は、降水があれば自動的に根圏へと供給され、制限的に働くことはむしろ希である。基本的に貧栄養な海洋環境に対して、陸上は基本的に富栄養環境だといえる。

海でも、水深が浅ければ、海底で分解再生された栄養塩は容易に表層の植物へ供給される。したがって、沿岸海洋は貧栄養環境にはなりにくい。多くの漁場が沿岸域に形成されるのは、この理由による。
しかし現代は、人間の社会経済活動で排出される栄養塩によって沿岸域がはなはだしく富栄養(過栄養)になったことが大きな社会問題となっている。
食料や飼料の輸入大国であるわが国では、外国起源の栄養塩の排出量も増大している。こうした富栄養化を抑制するには栄養塩物質の排出量を削減するのが有効だとの考えで、N, Pを除去する廃水処理法が制定されている。

廃水のN, P濃度を許容範囲に収めるには、N, Pの重量を廃水の容量に見合った量に制限しなければならない。
除去するときにも「重量」を目安にするほうが現実的である。廃水処理の事業者としては、規制濃度を、モル濃度よりは重量濃度で示されたほうが対処しやすい。
これが、わが国の環境調査で栄養塩物質の濃度を質量比(mg/L)で測定する理由なのだと理解される。環境という観点よりも人為の監視や規制が重視されるのである。

Posted on May 24, 2016

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