通信No.16 海の言葉⑮

2016年08月29日

【流向と風向】

海の本などを読むと、海流の向きが風向きとは反対の方法で示されていることに気づく。海流の向きは流れ去る方向で示すことになっており、南流(なんりゅう)といえば、親潮のように北から南に向う流れであり、北流(ほくりゅう)は黒潮のように北へ向かう流れである。
北半球では、南流は北の冷たい水を南へ運び、北流は熱を北へ運ぶ。欧米でも同じで、North windは北からの冷たい風、北大西洋最大の暖流である湾流が北極海に向かって“北流する(flows northward)”という。この表現は、南風や北風という風向きの表現とは反対であり、日常感覚とは逆だと感ずる人が多い。

人類は太古から風を意識していたに違いない。わが国で、東からの風を東風(こち)、海から海風、山から山風が吹く、「六甲おろし」が吹き降ろすなどという古い習慣は、昔の人々が風の起源方向に関心を向けていたことを示している。古典ギリシアでも、吹いてくる風の起源方向それぞれに神を感じていた(岩波新書の扉にある主要4風神を参照)。

季節を告げ、日々の寒暖や雨季と乾季、また作物の育ちなどと関係している風に、農耕民が関心を絶すことはなかった。ときに襲いくる嵐は、敵の船隊を壊滅させて国を救う神風(かみかぜ)でもある。古典ギリシアでも、侵攻してくるペルシア艦隊が暴風で壊滅したとき、風神のご加護だと信じたという説(ヘロドトス「歴史」巻8)は興味深いが、それは特別なことであり、日常的には、風は、もたらす影響とその起源方向で認識されていた。

帆船の時代、船乗りもまた風に注目した。外国の帆船は、まともな風上はむりとしても、昔から帆の角度を変えていずれの方向にも帆走できた。当然ながら風向によって速度が変わるので、とりわけ風向には関心が強かった。アラブのラテン帆を取り入れ、大航海時代を経て発達した欧米の大型帆船は、強い横風では汽船よりも早く帆走できた。風向に対してどの角度に帆を張るかが重要だから、その向きを細かく言い分ける用語が造られた。

日本の帆掛け船は、帆桁が帆柱に固定されていて帆の向きを変えられず、風下にしか帆走できなかった。それだけに向い風には神経質だったが、風の向きや強さを言い分ける言葉は少なかった。「順風満帆」という誇らしげな言葉には、横風のすばらしさを知らなかったという事情が隠されているともいえよう。

しかし、船乗りが風向を、吹いてくる風の起源方向でいう点は、国の内外で共通している。追風は背後から吹いてくる風で、英語はTail wind、海事英語ではWind abaft(船尾からの風)であり、前方から吹いてくる向い風はHead wind, Wind aheadである。この表現はわれわれの日常感覚と同じであり、海流の流向の表現とは、やはり反対である。

川や道路の向きは行き先で、私たちの顔の向きも視線が向う方向でいうのだから、流向を流れ去る方向で表現することは、ごく自然である。風向を起源方向で表現する方が、実は例外的なのだ。にもかかわらず、流向の表現が異様、風向の表現が自然と感じられるようになったのは、なぜか。

水や自動車や視線の的は具象物であるが、風は目に見えない。風は、もたらされる寒さや温かさ、その結果としての作物の育ち方などで感ずるほかはなかった。風は生活を支配する決定的な環境情報だから、人々の関心は強かった。そのときの関心の的は、流れる空気という物質ではなく、もたらされる影響であった。そして、その影響は風の起源方向によって決まっているという意識下の認識が、いつしか日常感覚になったのだろう。

Posted on August 29, 2016

生物生態研究所通信トップに戻る