通信No.19 海の言葉⑱

2016年12月27日

【死の海】

アジアとヨーロッパの境界にある黒海(The Black Sea)は、面積44万km2, 平均水深1,253 m, 最深2,212 mの大きな内陸海である。これほど大きいのに、表層たかだか100 mを除いてほぼ全体が無酸素になっている、典型的な「死の海」である。
どうして、どれほどの時間で、こうなったのか、それが今の日本海が直面している危機の内容である。

黒海は、北西域でドナウ、ドニエストル、ドニエプルなどの大河川を受け、全域の表層は低塩分の汽水環境になっている。南西部にはボスポラス海峡があり、マルマラ海からダーダネルス海峡をへて地中海へとつながっている。これがアジアとヨーロッパの境界であり、古代文明発祥時から幾度となくアジアとヨーロッパの興亡の舞台になってきた。海と人とのかかわりの歴史をみれば、ここがいかに重要な場所であったかが解る。今はトルコ国内の海峡であるが、国際社会での重要性が低下したわけではなく、人々の関心は強い。

ここで注目したいのは、この水路が極めて浅いという事実である。ボスポラス海峡は、長さ31 km, 幅0.7-3.42 km, 平均水深65 mで, 浅いところは13 mとか18 mしかない。マルマラ海はかなり大きくて深いが、ダーダネルス海峡は再び浅い。長さ約60 kmもある海峡だが、最深部でも103 mしかない。これが黒海と地中海を隔てる敷居になっているが、低塩の黒海水と高塩の地中海水が誘起する密度流はこれを越え、上層では黒海水が地中海へ流出、下層では地中海水が黒海へと流入している。高塩の地中海水は下層に侵入して100-200 mに強固な塩分躍層を恒常的に形成、そのために下層は無酸素化している。この状態は網走湖や水月湖と同じである。

黒海は初めから「黒海」だったのではない。もとはふつうの淡水湖であった。そこへ、今から7,500年前に海水が侵入し、無酸素化したのだ。網走湖や水月湖では数十年前に作った水路から海水が侵入したが、7,500年前に黒海と地中海の間では何が起こったのか。

いくつかの説がある。最後の氷河期が終わって氷河や凍土がとけて黒海の水位が上がった、あるいは地中海の海面が上昇した、そのために地峡が決壊したという説がある。あるいは、そういうときに大地震が起こって地峡が崩壊したという説もある。いずれにしても、それ以前に栄えていた街が水深100 mほどの海底に沈んでいること、堆積物からその頃に海水環境へと変化したことが分かるなど、水位上昇と海水流入には疑いはない。それが約7,500年前だったというのも確かである。さらに、この事変が急激なできごとであって、それが旧約聖書にノアの洪水として記憶されているという説も、太古の記録が口承で引き継がれたという歴史上の事実に照らすと、説得力がある。

では、その後どれほど経って黒海は無酸素化したのか、これは簡単には答えられない疑問である。しかし、イアーソンの金の羊皮伝説からも想像できるように、黒海は早くから異様な海であったと思われる。事実、BC16世紀ころのギリシア航海者が「無愛想な海」とか「近寄りがたい海」と呼んでいた。それよりも前に、ペルシア系民族は黒海を「暗い海」とか「明かりがない海」と呼んでいたということも知られている。今から4,000年前、すなわち海水侵入から2,000年弱でこの大きな黒海が表層近くまで無酸素になってしまったということだ。
無酸素化はそれくらい急速に進行するのであり、日本海の将来は決して楽観できるものではないということを、強く認識するべきなのだ。

Posted on December 27, 2016

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