通信No.26 海の言葉⑳

2017年10月30日

【一粒カキ】

カキ養殖の歴史は古い。世界的にはローマ帝国時代から、日本では16世紀に広島、17世紀に松島で、との記録がある。カキは集塊状に育つので、大昔から集塊中の大きな個体を食べ、小さなものは海へ捨てていたにちがいなく、捨てられた小型貝が海で大きく育つことに気付くのは自然の成り行きだっただろう。幼貝の地撒きは、これらの記録以前から広く行われていたのではないだろうか。その当否は別として、最近耳にすることが多くなった「一粒カキ」という言葉について考えてみたい。

ヨーロッパのクッキングブックをみると、カキの料理は一個一個殻を剥くことから始まる。集塊をばらすとか剥き身を買うということは書かれていない。カキといえば殻付きで一粒というのが標準だから、わざわざ「一粒カキ」などという必要はなく、その言葉もない。日本でも、1927年に佐藤忠勇先生が三重県的矢湾でハーフシェル用のカキ養殖を始めたときも「生食用殻付カキ」といい、「一粒カキ」とはいわなかった。

欧米では集塊状のカキを利用しないかというと、そうではない。特にアメリカでは剥き身を生産するし、ピクニックではカキの集塊を焼くOyster roastが好まれる。もちろんアメリカでも生食することはある。しかしそれはレストランでのハーフシェルであり、家庭で剥き身を生食することは希らしい。私はワシントン州のマーケットで剥き身を買い、ホテルで二杯酢にして食べたが、鮮度判定は自己責任であった。何事も起らなかったから剥き身がすべて危ないわけではないが、米国では剥き身は調理用であり、生食には殻付をというのが基本である。しかし、それを「一粒カキ」とはいわない。

アメリカにはハーフシェルを調理するオイスターズ・ロックフェラーという名物料理もあり、殻付きカキの需要は小さくはない。そのため、最近はSingle seedによる養殖が普及しつつあるらしい。Single seedというのはオーストラリアで開発された籠養殖に供給される種苗で、1個ずつばらばらに育成された幼貝のことである。それを、互いにくっつかないように離して籠や網に収容し、中層で育成する。地撒き養殖よりもはるかに費用や労力がかかる。しかし、サイズ、形、品質が揃うので売値は高く、ハーフシェル用のカキとして独自の販路を形成しているらしい※。

Single seedという名称は「一粒カキ」と似ているが、これは養殖種苗であり、食材である「一粒カキ」の訳語にはならない。「一粒カキ」は、剥き身を生食することが多い日本に特有の言葉だといえよう。

ところでカキという名称は、「岩から掻き取る」などというようなことに由来するという。この語源は、一粒カキが自然にできることはないという証拠だともいえよう。一方、英語のOysterの語源は異なっている。Oysterが初めて書物に現れたのは14世紀初頭で、その語源を探ると、フランスの古語oistre、そしてラテン語ostrea, さらにギリシア語ostreonから印欧祖語ost- にさかのぼるという。ost- は骨に関連する語を形成する語幹であり、掻き取る行為とは無関係である <Online Etymology Dictionary>。

英語といえば、英国人の大半はカキが大嫌いなのだそうだ <The Ultimate Guide To Oysters>。カキのおいしさには鈍感らしいが、英国にはOysterにまつわる興味深い言い回しがある。また、ギリシア語のostreonから連想される歴史上の事件にも興味をひかれる。カキは寡黙の象徴とされるが、多くの逸話を秘めた生物でもある。

※Cultchless (Single-Seed) Oyster Crop Budgets for Virginia,  VA Coop. Ext., Publ. AAEC-40P, 15 pp. (2013)

Posted on October 30, 2017

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