通信No.28 海の言葉㉒

2017年11月08日

【悲劇の女性哲学者】

カキのハーフシェルは、平らな右殻を外して丸みのある左殻に身を残す。これを素手ですると、手に傷がつくほどカキの殻は鋭い。このことから、西暦415年、ローマ帝国が統治するエジプトのアレクサンドリア市で起こった凄惨な事件が思い起こされる。キリスト教が帝国唯一の信教とされて間もないときであり、アレクサンドリア市には総主教座が置かれていた。

392年、ローマ帝国はキリスト教を唯一の信教としたが、それで事が治まったわけではない。特にアレクサンドリアには学堂と大図書館があり、古典ギリシアからの人間性豊かな学芸、論理を尊ぶ叡智が横溢していた。市の知識人は、預言や奇蹟を無条件に信ぜよというキリスト教は知性を退化させる、とみていたに違いない。教会は彼らを沈黙させなければならなかった。そのうえ、ルーツであるユダヤ教との争いはさらに激化し、アレクサンドリアのキリスト教は狂乱状態にあった。

その学堂には女性教師ハイペシア (Hypatia, c.370-415) がいた。当時最高の教師として市民から尊敬を集め、エジプトを統治する長官オレステスの信認も篤かった。人々は聴講のために彼女のもとへと集まり、教会に行く人は少なかった。総主教シリロスは、女性にしてこれほどの衆望を集める彼女に嫉妬したといわれる。

シリロスはオレステスを説得すれば市民は教会に来ると考えたが、オレステスは市を治めるために過激なキリスト教を制御するつもりであった。シリロスは、オレステスの反抗はハイペシアのせいだと信者を唆し、信者は暴徒と化して彼女を襲った。教会に拉致し、生きながらに体を切り刻んで虐殺、ばらばらにした遺体を焼き、学堂や図書館を荒らした。このときに“Ostracois”を使ったというのだ。瓦の破片、剃刀のようなカキの殻、アワビの殻などと解釈は定まらないが、原義は「カキの殻」である。残念ながら、カキはこんな悲惨な事件をも想起させるのだ。事件後、知識人はアレクサンドリアを見捨て、伝統の学芸は絶えた。それから千年間、いわゆる中世の暗黒時代が続くことになった。

千年後のルネサンス期、バチカン教皇庁で画家ラファエルは「アテネの学堂 (1509-10) 」を描いた。実際に見た人も多いと思うが、古典ギリシアの哲学者たちを描いた大壁画で、画中50人ほどの中に女性が一人いる。ハイペシアである。最初ラファエルは彼女を中央に描こうとしたが、教皇庁は削除を命じた。しかし画家は、位置を左へ移し、顔を教皇の甥に似せて描き、削除を免れたという。教会はハイペシアを思い出したくなかったが、画家は歴史から拭い去ってはならぬ偉大な女性だと考えていたのだろう。

最近、ハイペシアに関する映画とネット記事をみることがあった。映画は“Agora”で、邦題は「アレクサンドリア」、どこででも借りられる。これにはキリスト教側からの異議もあるが、カソリック国スペインで製作されたという事実が興味深い。ネット記事はOlivia  Pierson の <The Beautiful Lady in the Middle - Hypatia of Alexandria> で、これも簡単に閲覧できる。この記事は、次のような、女性ならではの感想で締めくくられている。「(意訳) この壁画を見るたびに心が痛む。他の哲学者達はみな思索にふけったり討論しているのに、彼女だけは独り。絵の中から私たちを見つめているその瞳は、物静かに、しかしきっぱりと、<この歴史を忘れないでください、私が著名な男性哲学者の集まりの中に描かれているのもそれゆえなのですから>と語っている。」これはラファエルの意思でもあっただろうと私は思うが、絵をご覧になった方々はどう感じただろうか。

ハイペシアの死は初期キリスト教史の汚点となり、今もキリスト教圏の人々の心に無念の思いとともに刻まれている。事件後今日まで、多くの論考が重ねられてきた。それをたぐるには< http://penelope.uchicago.edu/~grout/encyclopaedia_romana/greece/paganism/hypatia > からスタートするのが良いと思う。

Posted on November 8, 2017

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