通信No.29 海の言葉㉓

2017年12月19日

【カキ、シェイクスピア、交通ICカード】

カキにまつわる第4話は、国民の多くがカキは嫌いだという英国での話。やや大きな英語辞書でOysterを引くと“The world is one’s oyster.”(研究社新英和中辞典) とか“The world is your oyster.”(Oxford Advanced Learner’s Dictionary)という慣用句が出てくる。その意味は、「世界は~の思いのままだ」とか “There is no limit to the opportunities open to you.”で、明るくて容易な前途を示している。起源は1602年に出版されたシェイクスピアの喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」の中の“Why then the world's mine oyster, Which I with sword will open.”である。これは、子分のピストルが親分のフォルスタッフに金を借りようとして断られたときの捨て台詞で、「ではこの剣にもの言わせ、貝のごとくに閉ざしたる世間の口をこじあけて、真珠をちょうだいするのみだ」と訳されている(小田島雄志)。力ずくでものしようという不届きな台詞から、なぜ明るい前途を祝うような慣用句がうまれたのだろうか。どうやら英国人も不思議に感じたらしく、いくつもの論説がある。

有力なのは、次のような説である。カキはご馳走であるだけでなく、運が良ければ真珠が出てくるかもしれないという含みで、この慣用句では幸運のシンボルとされている。しかし殻を開くのは容易ではなく、相当の努力、修練、道具が必要だ。それだけに、もしそこにナイフも添えられていれば苦もなく殻を開けることができ、これぞ究極の幸運!となるだろう。ということで、「君は恵まれた家庭に育ち、優秀な学校で実力をつけ、しかも叔父さんは斯界の有力者とくれば、君の前途は順風満帆、世界はもう君のものだね」となったというのだ。剥き身が流通している日本や、ハーフシェル調理を別段苦労とは思わないフランス人には通用しない慣用句だ。こんな持って回った慣用句ができたのは、英国人はカキが嫌いだからだろうと、妙に納得する。

その英国の首都ロンドンで、公共交通用ICカードは「オイスターカード (Oyster Card)」と名付けられている。このカード誕生のかげにはJR東日本の「スイカ」の開発を手掛けた富士通の協力があったという。“Oyster”は、他に“Pulse”と“Gem”という候補名があった中から、ずいぶん時間をかけて検討した結果、最終的に選抜された名称である。なぜ“Oyster”なのかというと、カキ殻のようにしっかりしていて安全、真珠を宿しているような価値感があり、ロンドンでカードを使うたびにテムズ河口で育つカキとの縁が思い起こされ、しかもその便利な機能は文字通り“The world is your oyster.”を保障するからだ、とロンドン市交通局のHPに説明されている。これまた、手の込んだ命名である。こうなると、英国人はカキが嫌いだというのは本当なのか、疑わしくなる。

日本語にはないが、多分フランス語にもないだろうと思うのだが、残念ながら英語にはカキにまつわる否定的な警句があるのだ。“Oyster shucker” はカキ剥き業の意味であるが、辛くて嫌な仕事の代名詞になっている。冷した生カキの滑らかな舌触り、柔らかで、噛むと口の中に広がる海の香りとほんのりした甘さ、そのいずれもが多くの英国人には得体のしれない不気味なものに感じられるらしい。極め付きは、“oyster kiss”という言葉だ。この言葉を若い女性が次のように説明しているのだそうだが、これをみるとやはり彼らはカキが苦手だということが良く分かる。下手に訳すよりも、英語のままの方が彼らの感覚が良く伝わってくるだろう。彼女はいう、“They’re those wet, cool, open-mouth slobbering kisses. You feel like a mollusk has attached itself to your face.” その結果、“And romance is dead.”となってしまうのだそうだ。カキに罪はないと思うのだが…

Posted on December 19, 2017

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