通信No.30 海の言葉㉔

2018年07月12日

【Krill‐通信No.1増補】

大型の動物プランクトンであるオキアミ類をわが国でもクリルというようになったのは、ナンキョクオキアミの資源研究が世界的規模で行われた1980年代以降である。“Krill”は、仔魚を指すノルウェー語であったが、後にオキアミを指す英語になった。そこで連想されるのが、本邦三陸沿岸で早春に漁獲される「イサダ」である。イサダの語源は小魚、三陸のイサダはツノナシオキアミのことだから、両国の漁民の感性は昔から似ていたということになる。朝から魚を食べる国は少ないが、ノルウェーの高級ホテルでは魚が朝食に堂々と出てくる。こういうところも日本と似ている。

三陸のイサダ漁は古く、宮城県女川町の町史には、文化4年(1807年)の「いさたと申す羽虫の様なるもの沢山により申候、五分浦にては此いさた拾い粕に仕大金相取申候得共、云々」という記録がある。プランクトンを直接漁獲する、世界でも稀な漁業である。

イサダ漁が古くからあるのは、ツノナシオキアミが羽虫のように群れて、ときには岸近くまで寄ってくるからである。春先に親潮第1分枝が接岸するとき、その先端域でツノナシオキアミが表層に産卵集群するので、小型船でも容易に漁獲できる。昔は粕(たぶん肥料) にしたり、アミのように佃煮にしたらしいが、最近は養殖魚の体色を赤くする色揚げ飼料とか釣りのコマセとしての利用が多い。ナンキョクオキアミや北大西洋のノルウェーオキアミも表層で成群するので、大型ヒゲクジラ類の恰好な餌となっている。近年は、商業漁獲もされるようになった。

イサダは“イサザ(細小魚:いささうお)”からの転訛である。「いさざも魚(トト)交じり」という、高級魚に交じった雑魚のごとく、名士の集まりに入り込んだ場違いな輩を揶揄する諺にもなった。それが、タイやヒラメのような高級魚の餌として目立つからか、小エビやアミも含めてイサザというようになったのだろう。岩手県ではツノナシオキアミを「エサダ」というが、特に「餌」の意味を強調するのではなく、単なる地方の訛らしい。

Krillも最初は仔魚のことだったが、後にクジラの餌を指す語になり、中でもクジラが好むオキアミ類を指すようになった。それだからこそ、イサダが連想されるのだ。C.ダーウィンは「ビーグル号航海記」の冒頭1832年3月18日に、南米ティエラ・デル・フエゴ沿岸の帯状赤潮がエビのような甲殻類によるものであり、それを“The sealers call them whale-food”と記している。この“whale-food”という語はダーウィンの訳であって、アザラシ漁夫(sealers)たちは、本当は“krill”と言っただろうと私は思う。今となっては調べようもないが、捕鯨者とともに活動していた彼らが、わざわざ“whale-food”などと言うはずがないと思うのだ。しかしダーウィンは、一般の読者にはkrillの意味は分からないだろうと考えて「クジラの餌」と訳して書いたのだろう。

もう一つ疑問がある。日本語の「アミ」の語源である。浅瀬にいるアミ、沖合にいるオキアミ、その「アミ」という語はどこからきたのか。平安時代の「新撰字鏡」では「䲑」という漢字に阿弥(あみ)という読みを付している。大和言葉の「あみ」に相当する漢字は「䲑」だというのだ。中国語の「䲑」は「魚の卵」、これをあみと関係づけたのは日本のセンスだったのだろう。大槻文彦「言海」は、「和訓栞(1777-1887)」の「醬蝦ヲあみト云フ、海蟲(ウナムシ)ノ義ナリ」を引用しているが、「あみ」については「意詳ラカナラズ」としている。他の辞書を見ても語源は確定できない。日本語のなかでも、相当古い言葉なのだ。

「和訓栞」が示すあみの漢字「醬蝦」は、魚醤の一種「蝦醬」の主原料がアミだということを示している。アミやイサダは、昔から東南アジアで利用されていたのだ。「蝦醬」の中国読みは「シージャン」、今も中華料理に使われている。

Posted on July 12, 2018

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