通信No.31 海の言葉㉕

2018年07月12日

【厄水(やくみず)‐通信No.2増補】

親潮などの寒流域で初夏に発生する珪藻類の濃密群集は、色は緑褐色だが、赤潮の一種である。あまりに濃密な群なので、珪藻を餌とする動物プランクトンさえもこれを避ける。また、漁具にべったりくっついて海藻臭を放ち、陸に揚げた後には腐敗臭を放つので、ふだん海藻を食べる日本の漁業者たちにとっても厄介なので、この赤潮は「厄水」と呼ばれている。しかし、その後にはカイアシ類やオキアミ類といった動物プランクトンが増え、さらに魚類が集まり、結果的に豊漁になることがあるので、「薬水、役水」と書くこともあった。海洋生態学の観点からみれば、これこそ亜寒帯海域の高い生物生産性を象徴する「春季大増殖(Spring bloom)」そのものである。

英国のプランクトン学者A.ハーディ卿の“The Open Sea”という本には、この現象を英国の漁師たちが“weedy water”とか“Dutchman’s baccy juice”と呼んでいたと紹介されている。これらの言葉はある種の不快感を示していて、語感としては「厄水」と驚くほどよく似ている。前者は海藻(sea weeds)との関係を連想させるので、いかにも珪藻による厄水現象を示す語だという感じがする。しかし、後者は“タバコ好きのオランダ野郎が吐いたつば”というような意味だろうが、なぜそれが厄水現象を示す語になったのか、考えてみれば不思議ではないか。

タバコは、15世紀末にコロンブスが新大陸への航路を発見したあと、ヨーロッパに伝わった。火をつけて紫煙をくゆらすほかに、火を使わずに噛みタバコや嗅ぎタバコとして愛好する人も多く、おそらく木造帆船時代の船員はそうであったにちがいない。東南アジアでビンロー(檳郎)の実を噛む人が真っ赤な唾液を路上に吐き出すのは今も目にするが、船上で噛みタバコを喫する船員もまた、褐色のつばをしょっちゅう海に吐き捨てていたにちがいない。それは、海面でパッチ状に広がり、緑褐色の厄水風になるはずで、英国の船員は厄水から逆にそれを連想したのだろう。

そのとき、なぜ隣にいる英国船員ではなくオランダ船員を連想したのか、なぜオランダ船員でなければならなかったのか、それが不思議なのだ。

大航海時代の幕を開けたのはポルトガルとスペインであった。15世紀後半、ポルトガルは南下してケープタウン沖からインドに向かう航路を開拓し、スペインは西へ向う新大陸への航路を開拓した。両国は、トルデシリャス条約(1494年)で競争を避けつつ、ともに大航海時代をリードする世界帝国として君臨した。ポルトガル人が種子島までやってきた(漂着)のは、それからわずか50年後のことである。ポルトガルとスペインの発展はめざましく、他の国々は、海を制することがいかに重要であるかを思い知らされたに違いない。間もなく、宗教も絡んで、諸国間の複雑な同盟と反目の関係はねじれたりねじれ返したり、たびたび戦争があったりして、スペインとポルトガルの制海権は危うくなった。幸運の女神は英国とオランダに微笑むようになっていったのである。

ついに、英国はスペインの無敵艦隊を迎撃(1588年)して制海権を手にし、オランダはスペインから独立(1596年)してインド洋交易の覇者となった。今度は英国とオランダが世界帝国の座を争うことになった。両国の政府は無駄な軋轢を避けるために条約を結んでまで共存を図ったが、海にいる者たちは容易に和解しなかったという。英国の船乗りがオランダ船員に敵愾心を持つようになったのは、このときからだろう。もちろん逆もあったにちがいない。お互いの仕草が気に食わないのも道理だ。英国船員が、臭くてロープや網に粘りつく不快な「厄水」をみて“Dutchman’s baccy juice”と言ったとしても、不思議なことではないではないか。

厄水に関する文献: (1) 丸茂隆三・天野充 1956. 1955年5月宮古沖厄水の浮游生物学的及び海洋学的性状. 海洋学会誌, 12(2): 53-58. (2) 辻田時美 1966. 厄水について. 水産海洋研報, 9: 134-135.

Posted on July 12, 2018

生物生態研究所通信トップに戻る