通信No.33 海の言葉㉗

2018年07月12日

【Planktonと古典ギリシアの宗教観】

前号に、ギリシア語πλανκτοςは、神から放浪生活を運命づけられた者という意味の語であり、人間に限らず馬や岩山にも使われた語であったと書いた。しかし、この語感がぴったりするのは、何といってもオディッセウスの漂流とオイディプス王の放浪である。

ギリシア西部の島国イサカの王オディッセウスは、トロイ攻めのギリシア連合軍への参戦と戦後の帰国航海で20年間も故郷を離れなければならなかった。その間、故郷では怪しからん輩が彼の財産をくすねたり貞淑な妻にしつこく言い寄っていたが、帰郷したオディッセウスは強弓をもって彼らを成敗した。「イーリアス」と「オディッセイア」のこの部分は多くの人に知られている。しかし、10年もかかって攻略したトロイからの凱旋航海にさらに10年もかかったのはなぜか、その理由に興味を持つ人は多くないかもしれない。

トロイは巨大な木馬の策略にかかって落城したが、この策略をたてたのがオディッセウスであった。それゆえトロイの守護神たちが怒り、彼の帰国航海を邪魔したのである。さらにオディッセウスは、漂着した島で海神ポセイドンの子である人食いの巨人キュクロプスの、たった一つしかないその目をつぶしたため、海神の深い恨みをかってしまった。トロイの守護神たちがそろそろ許そうとしても、海神だけは彼を許さず、故国への航海を終わらせようとはしなかった。女神カリュプソの島から出港したオディッセウスを襲った大嵐には、海神の凄まじい憎悪がこめられていた。こうして、オディッセウスは10年ものあいだ漂流を続けなければならなかった。オディッセウスの漂流は、神の意志だったのである。大神ゼウスは、オディッセウスのような人間を「おのれの愚かさゆえに、定めをこえた苦労をなめている」と評している(高津春繁訳)。人の運命は神が定める、人はそれから逃れようとしてはならず、神の意思を受け入れなければならない。これが当時の宗教観、宿命観だったのだ。

ソフォクレスの悲劇「オイディプス王」の主題は、オイディプス王の悲惨な運命は神が定めたことであり、それがどんなに過酷であろうとも逃れてはならず、神を恨むことなく受け入れるべきなのだという宗教観である。捨て子オイディプスはコリントスで育てられ、コリントスが自分の生まれ故郷だと信じていた。あるとき「故郷に近づけば両親を殺すことになる」という神託を受けた。それで故郷と信ずるコリントスを離れ、それとは知らずに本当の生まれ故郷テーバイにきてしまった。その地で、人々を苦しめている暴君を殺して王に推戴され、その妃を妻とした。しかし間もなく、その王が実の父であり、妃は実の母だということが明らかにされる。この恐ろしい運命は、彼が生まれたときから予言されていたことであった。彼や彼の両親をこの預言から救おうと人々は懸命に努力したが、誰も逃れることはできなかった。絶望したオイディプスは自ら盲目となり、苦しい放浪生活を送らなければならなかった。

これらの物語は、人々の行いを神が定め操っていること、トロイでの大きな戦争までもが神々の確執によって戦われていたことなどを、繰り返し語っている。オディッセイアとオイディプス王の物語にはπλανκτοςの派生語がでてくる。OxfordのA Greek-English Lexicon も、この語の使用例をこの二書から引いている。オディッセウスとオイディプスは、吟遊詩人のように好んで放浪の旅に出たのではない。神の意志によって、さまようことを運命づけられたのであり、故郷へ帰りたくても帰ることはできず、留まりたくても留まることを許されなかったのだ。Planktonは、古典ギリシア独特の、この宗教観を引き継いでいる。

Posted on July 12, 2018

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