通信No.34 海の言葉㉘

2018年12月27日

【NektonとBenthos‐通信No.4増補】

海中では、あらゆるところに生物が生息している。無酸素になって「死の海」といわれるようなところにも嫌気的な生物がおり、高温の熱水噴出孔近くにも化学合成細菌がおり、さらにそれらの生物の生産に依存する動物が高密度に蝟集しているところもある。このように、広くて深い海のどこにでも生物はいて、その種類や生態も文字通り多種多様である。そのすべてをひとまとめにして「海洋生物」というだけでは、話の焦点が定まらない。したがって、分類学的な区別はもちろん、さまざまな基準で生物を分類したり類型化したりする必要がある。

植物と動物との区別は最も基本的な分類ではあるが、それだけでは不十分である。海中のどういう場所でどんな生活をしているかによる類型化が必要な場合が多い。そのように、生息場所や生活様式によって類型化された生物群を「生態群」というが、あらゆる海洋生物は次の三つの生態群のいずれかに分類される。まず、水中を漂って生活する生物はプランクトン(Plankton: 浮游生物)である(通信No. 32)。これに対して、漂うのではなく、水中を能動的に泳ぎまわる動物をネクトン(Nekton: 游泳動物)という。また、岩礁に着生したり、海底を匍匐したり、砂泥中に潜ったりする生物はベントス (Benthos: 底棲生物) である。いずれもギリシア語のπλανκτος (通信No. 32), νεκτος (=swimming), βενθος (=depth of the sea) を語源としている。

プランクトンには植物と動物があり、ネクトンの典型は魚類、イカ、クジラなどの動物である。ベントスの典型はエビカニ類や貝類などに加えて、岩礁に着生する海藻類があげられる。このように、プランクトンとベントスには植物も動物もいるが、ネクトンはすべて動物である。それゆえ、浮游生物と底棲生物には生物の、游泳動物には動物の語をあてる。

これらのうち最初に命名されたのがplanktonであり(V. ヘンゼン、1887年)、それを追うようにしてnektonとbenthosという語が作られた(E. ヘッケル、1890 & 1891年)。当時のドイツの学界では、ヘンゼンとヘッケルがライバルであったことは有名である。ライバル意識もあって、ヘンゼンによるplanktonという新語に接したとき、ヘッケルは反射的に“では、それ以外の生物を何と呼べば良いのか”と感じたにちがいない。それで、自らnektonとbenthosという語を作って欠を補ったのだと想像される。この三点セットがあれば、すべての海洋生物を網羅することができるのだから。

ヘンゼンはプランクトン学に集中したが、ヘンゼンは常に生物界全体を見ていた。こういうところでも、二人は対照的だった。学風も正反対といってよいほど異なった二人であったが、二人の熾烈な論争は、混乱を生むのではなく、生物海洋学の発展に大きく寄与したのである*1, 2。発展をもたらす論争とは、さすが! 感嘆措く能わず、だ。

ところで、三点セットのほかに、ニューストン(Neuston: 水表生物)という生態群がある。語源はやはりギリシア語 νευστός ‎(=swimming‎)で、湖沼の表面にいるミズスマシ、アメンボ、浮草などを指す語であった(1928年)。海にも少数ながらウミアメンボやカツオノカムリなどがいるのでこの語も使われるが、海洋学での定義は緩やかである。湖沼では小さなボートから水表生物だけを狙って掬い取ることができるが、海洋ではむりである。船でニューストン・ネットを曳網して採集することになるが、ネットの口は空中から水中まで開口するので、海洋学でのニューストンは、純粋の水表生物と極表層のプランクトンとの混合群集である。

ニューストン・ネットのこのような採集特性は、海表面とその直下層に漂っているマイクロプラスチックを採集するのに好都合である。それゆえ最近は、プラスチック汚染に関する報道記事でもこのネットの名を見る機会が多くなった。

*1谷口 旭1981. 動物プランクトン現存量の測定法と問題点. 東京大学海洋研究所大槌臨海研究センター報告, 7: 102-104.

*2谷口 旭1983. プランクトンと水産資源学. 海洋科学, 15: 308-314.

Posted on December 27, 2018

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