通信No. 44 海の言葉38【特殊な漁場―親潮黒潮移行域】

2019年12月20日

通信No. 44 海の言葉38【特殊な漁場―親潮黒潮移行域】

北西太平洋漁場は生産性の高い漁場であり、本邦東方沖の親潮黒潮移行域(混合水域ともいう)はその中心である。しかし移行域には、発達した陸棚やバンク、優勢な湧昇流はない。その北方の亜寒帯海域は富栄養海域であるが、移行域は直接その栄養塩を受けているわけではない( 通信No. 43 )。にもかかわらず漁場ができるのは、なぜか。

移行域の特殊性は、海洋学的な性質がまるで正反対の親潮と黒潮の収斂というところにある。複数の暖水塊と冷水塊、無数の潮境やストリーマなどが絶えず消長を繰り返している。これは親潮黒潮移行域に独特な現象であり、北大西洋ではみられないものである。栄養塩濃度、基礎生産量、動物プランクトン量などは、分布は不均一かつ複雑だが、全体的には親潮と黒潮の中間的なレベルにある。黒潮域で育った稚魚からみれば餌がより多い海域である反面、親潮域で索餌していた成魚からみれば餌が少ない海域である。

移行域で漁獲される浮魚類の多くは、黒潮域を産卵場、親潮域を索餌場としている。サイズ依存の海洋食物連鎖では少しでも大きい方が被捕食を免れやすいので、高水温下で早く成長して生残率を高めるために黒潮域で産卵するのは合理的である。一方親潮域で多産するプランクトンを飽食すれば、低水温ゆえにエネルギー消費が抑制されて脂質蓄積量さらには健常孕卵数が多くなるので、親潮域を索餌場にするのは合理的である。両海域のメリットを享受するには回遊しなければならないが、そのうち親潮域から黒潮域へ回帰するときに、移行域で漁獲されるのである。すなわち、この漁場は餌や基礎生産に惹かれて形成されるものではないのだ。

ところで、この回遊のコストは得られる利得を超えてはならないが、そのコスト節約はどのように実現されているだろうか。この回遊の懸け橋である移行域はせいぜい数百kmしかなく、回遊の距離はそれほど大きくはない。これが第一の好条件である。さらに重要なことは、回遊性の小型浮魚類は、目的地へと遊泳しながら呼吸と摂餌をするということである。泳ぐことで、移動、呼吸、摂餌という三つの目的を果たす一石三鳥の行動は、広くて深い海に生息する魚類や動物プランクトンに広くみられる適応であり*1、ここでは回遊生活への徹底した適応だといえる。泳がずに鰓蓋で呼吸水流を起こし、餌に突進して捕食する底魚や磯魚にはみられない適応である。この適応ゆえに、回遊コストを抑制しながら、黒潮域と親潮域を産卵場と索餌場として活用することができているのである。

この生活様式では、移行域は、亜寒帯と亜熱帯という両極端の海域間を移動する際の馴致場となり、その中に形成されている潮境などは回遊経路の標識となる。それゆえ、親潮域でプランクトンを飽食したのち産卵のために黒潮域へ南下しようとする成魚はしばし移行域に滞留し、潮境に群れる。これが移行域にできる漁場である。繰り返すが、この漁場は高い基礎生産力とか豊富な餌生物に惹かれてできたものではないのだ。ここでの漁獲量が、より基礎生産量が大きく、しかも大回遊を要しないカルフォルニア沖の湧昇流域における漁獲量よりも高いことは注目に値する*2

漁場が形成される海域では基礎生産量や餌生物の生産量が大きいはずだという先入観は、ここでは的中しない。通信No. 43で述べた「三大漁場」という語の弊害とは、この的外れな先入観のことだったのだ。

*1谷口 旭1992. 浮魚餌料環境―プランクトンの生産特性を浮魚の立場から見る試み. 漁業資源研究会議報, 28: 1-10.
*2Taniguchi, A. 1999. Differences in the structure of the lower trophic levels of pelagic ecosystems in the eastern and western subarctic Pacific. Prog. Oceanogr., 43: 285-319.

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