通信No. 46 海の言葉40【トレビの泉】

2020年01月30日

通信No. 46 海の言葉40【トレビの泉】
2019年11月27日ローマ発CNN『トレビの泉に《防護壁》を:観光客で大混雑の現状に対策提案』というニュースが目にとまった。トレビの泉(Fontana di Trevi) はローマ市内で最も人気のある観光スポットの一つ、世界から観光客が押し寄せる。私も大好きだ。

ローマの観光客は、以前はすりや客引詐欺のいい鴨だったが、最近は数々の問題の加害者になったらしい。地元では危機感が増し、議会が「トレビの泉とスペイン階段、コロッセオ、コロッセオとベネチア広場を結ぶフォリインペリアリ通りをローマのシンボルと位置付け、もっと礼儀を重んじる観光の必要性を訴え」、トレビの泉には「防護壁を築いて、泉のへりに座らせないようにする」などの案を検討しはじめたというニュースだ。

確かに近年は観光客が多く、泉の縁に座ったり周りの階段を占拠したりする傍若無人さが目立つ。決して広くはない広場全体が、俗っぽい雑踏になってしまった。20年ほど前は、レスピーギの交響詩が謳うように、心中に去来する大洋神の荘厳さが感じられた。それが、今は様変わりだ。ローマの人々が伝統と文化の危機だと感ずるのは当然だろう。

トレビの泉が人気なのは、市街中心域にあるうえ、物語性と芸術性に富んでいて、かつ規模が大きいからだろう。ローマ市内には2,000以上の泉、噴水があるというが、ポーリ宮殿の壁を取り込んだトレビの泉は格段に壮大かつ豪華である。正面すなわち宮殿の壁面中央には大洋神オケアヌスの大きな壁龕(へきがん)があり、その前面に、左右に馬を御す二人のトリトンを従えたオケアヌスの堂々たる像が立つ。主役はオケアヌス、だから私はこの泉が好きなのだ。数々の物語が頭に浮かんでくる。

壁面にはまた、豊饒の女神ケレスと健康の女神サルースの像が配置され、その上には古代ローマの水道開拓のエピソードが浮き彫りされており、さらに豊かな物語を語る。興味は尽きない。

下部は水をたたえるプールで、ここに後ろ向きにコインを投げ込むと必ずローマに帰ってこられるといういわれがある。それが、数々の映画で、恋に恵まれるなどと紹介されたことも、人気に拍車をかけた。さらに、コインを3個投げ込むと離婚できると、近くのカソリック総本山にあてつけるような輩もいて、観光客は競ってコインを投げ込む。その額年間140万ユーロ。以前からこれを狙うコソ泥が問題になっていて、対策として、毎夕コインを回収管理する職員を配置してあるという。新規雇用を生みだしたのだ。

たくさんある泉や噴水は、遠く市外の水源地から引いた水を市民に広く分配する給水口であった。古代ローマの水道構築技術が極めて高度であったことはよく知られている。遠くの、かつ複数の水源地から水を引き、市内に水路を張り巡らし、要所要所に泉を作って配水していた。水路の末端では、大量の余水を活用する大規模な噴水や公衆浴場が建造された。トレビの泉はその一つである。いずれも、ローマ市民にとってはかけがえのない歴史的、芸術的資産である。その誇りや愛着の深さを観光客は理解できない、そのギャップが問題の根源であるにちがいない。

振り返ってわが国を見れば、重要な文化財がやはり無理解な観光客に害されるという事件が度々起こっている。観光客が増えるのは結構だが、こういう被害を招くこともある。誘致する側の思惑通りになるとは限らないのだ。カジノは大丈夫かという心配も、単なる好き嫌いの問題ではすまないのではないか。カジノで新規雇用を創出するという案は、トレビの泉のコイン管理者のように成功するとは限らないだろう。

米国の禁酒法はギャングを暗躍させた。国民を規制すれば、行政手続きはじめ監視や警備の仕事を確実に増やすことができる。しかし、新たな違反勢力も必ず生まれる。通過者である観光客は「勢力」にまで増長することはないが、国民も出入りするカジノでは楽観はできない。トレビの泉のような軽微な警備ではすまないかもしれない。

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