通信No. 47 海の言葉41【雑学】

2020年04月30日

海の言葉41【雑学】

雑学とは唐突な、と思われるかもしれない。雑学は、「種々の物事を研究すること。雑駁なる学問 (言泉)」、「雑多な物事・方面にわたる、系統立っていない学問・知識 (広辞苑)」、「広い分野にわたっている雑多な知識。また、系統、組織立てて専門に研究してはいない知識や学問 (日本国語大辞典)」であり、確かに、海に関係している語にはみえない。

ところが、「雑学」に相当する英語はtrivia (トリビア)であり、この英語の語源がラテン語trivium (三叉路)なのである。前回の話題であった「トレビの泉」がある場所はローマ市内のトレビ広場(Piazza di Trevi)であり、その語源もまたtriviumだといわれている。これでお分かりのように、「雑学」はトレビの泉からの自然な連想なのである。

英語のtrivia は “unimportant matters (Merriam-Webster), ” “details or information that are not important (Cambridge Dictionary), ” “unimportant facts or details that are considered to be amusing rather than serious or useful (Collins) ”である。日本の辞書と似ているが、同じではない。このtriviaは、どのような経緯をへてラテン語の三叉路triviumから派生したのだろうか。

古代ローマでは、街の三叉路(trivium) は人々が集まりやすい場所だった。それで “trivialis (共通の、公衆の)” という形容詞ができ、それが中世には「平凡な、ありふれた」という意味になり、ついに “trivia (triviumの複数形:陳腐な事柄、ありふれたこと) ” という名詞を逆成した。これらは15世紀ころに英語へと取り込まれたが、長く一般化しなかった。

ところが20世紀になって、triviaがいわゆる雑学の意味で急に一般化したという。出版や放送が言葉を大衆化したのだ。特にTVのクイズ番組の流行が拍車をかけたらしい。今では日本でも雑学力を競うTVクイズ番組は人気が高く、世人の知識欲をいたく刺激している。

私たちが自宅にいて知識や情報を入手する手段はたくさんある。手段によって知識が記憶に定着する程度は異なり、さらに個性的な知性へと昇華する程度もちがう。TVやラジオは、スイッチを入れるところまでは能動だが、一旦受信しはじめると受動になる。何をしなくても情報が流れ出てくるのは便利だが、記憶には残りにくい。新聞や雑誌は能動的に読むものだし、読み返すこともできて記憶に残りやすいが、内容と情報量は宛行扶持(あてがいぶち)で限定的である。TVにはテキスト付の教養講座や放送大学もある一方、新聞や雑誌には電車のつり広告程度ものもあり、決して一様ではないことは、今はさておく。

本は自ら選択し、意欲をもって読むものである。類書や参考資料への指針が多く、読者は能動的に情報を獲得する。能動的に獲得した情報は記憶に定着しやすく、拡張深化しやすい。本は良質な知的情報源だといえよう。

インターネットでは、近くの図書館にはない書籍や資料、外国のものさえも見ることができ、いながらにして高い水準の情報が数多く得られる。ただし、意欲に加えて、ネット内を渉猟する技術と語学力が必要である。うまく渉猟できればより広く深く学ぶことができ、今日の家庭では最強の情報源である。

いわゆる雑学は新たな雑学をうみ、留まることがない。雑学者は時間を惜しんで資料を渉猟し、さらに新しい雑学を開拓し続ける。そのとき、インターネットが有力な手段となる。ただし、インターネットには疑わしい記事も多く、慎重に内容の真偽を確認しなければならない。真偽が分からないまま受け売りする饒舌な人もいるが、それは本物の雑学者ではない。ただ、そういう人が、人をして新たな知識探求へと駆り立てるのも確かである。啓蒙者に似ていなくもない。私たちは、そういう擬啓蒙者を妄信することなく、その真偽を見抜く力を身につけなければならない。

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