通信No. 48 海の言葉42【昔からあった雑学】

2020年04月30日

海の言葉42【昔からあった雑学】

最近、雑学とはいわずに、英語を取り入れて「トリビア」ということが多くなった。カタカナ語を戒める意見があるものの、この場合はトリビアの方が良いと思う。

前回みたように、英語のtriviaの定義には -logyも-graphyもなく、学問的な雰囲気は全くない。一方日本語の定義には学問とか研究という語がある。かつて「雑学」は学問の範疇に入っていたからだ。要するに、“trivia”と「雑学」は同義語ではなかったのだ。にもかかわらずtriviaを雑学と訳した結果、雑学は学問たりうるかなどという論議を招くことにもなった。トリビアは「広い分野にわたっている雑多な知識(日本国語大辞典等)」なので、「学」を付けずに「雑識(ざっしき)」などと訳すべきだったが、今はもう手遅れである。

「雜學」は、紀元前の中国で発生した。英語のtriviaの千年前である。学問の領域や内容ではなく、学問に取り組む姿勢、いわゆる学風をいう語であった。簡単にいうと、難解な原典を避けて、分かりやすくまとめられた抄録(ダイジェスト)に依る姿勢を指した。

抄録は、中国に限らずどこででも重宝がられ、実際に役立ってきた。しかし中国では、抄録だけで学ぶことや、異なる原典の抄録を混ぜこぜにして論ずる姿勢は、厳しく批判された。そういう雑駁な取り組みは非正統だという意味で、雜學といったらしい。抄録を作ること自体を雜學ということもあったが、何よりも、抄録を漁って自説を展開する姿勢を非難したのだ。

中国戦国時代の兵法書「尉繚子(うつりょうし)」は、雜學をたしなめた最古の書籍だといわれる。わが国でも、1622年の「信長記」に「雜學の真学を乱すにあり」という警句があるという。また、1653年には「雜學事件」が起った。この事件は、江戸幕府と曹洞宗寺院との係争であり、幕府方が寺院側の雜學姿勢を責めて仏教界の統制権をとることに成功したといわれる*1, 2。雜學は、見過ごしても良いものなどではなかったのだ。いかに知識が豊かであっても、雜學者は、原典に学んだ真の学者には代わりえないとみなされていたわけだ。

このように、本来の雑学はトリビアとは違うものであった。しかし、知識階級の人には知られていても、世間で人口に膾炙していた語ではなかった。それゆえ、現代になって“trivia”という英語に接したとき、この語の字面が思い出され、意味するところは違っていても、一般社会で混乱を招くことはないと判断されたのだろう。

徳冨蘆花の「黒い眼と茶色の目」其五に「雑学ながら物識りの井口の叔父さん」という文がある。明治以降に「雑学」が使われた早い例であるらしい。今日ならトリビアと解釈するだろうが、「正規に修学したわけではないが」という意味だったかもしれない。前者はそれほど尊敬できないが、後者には独学で広く学んだ人という雰囲気がある。蘆花自身、同志社大学を中退した人である。騒人墨客(そうじんぼっかく)とまで評さなかったのは、この叔父さんが磊落(らいらく)な人だったからだろう。

前回、インターネットは最強の情報源と書いたが、インターネットでの学びこそが古典的な意味での「雜學」である。インターネット記事のほとんどが抄録だからだ。そもそも情報が氾濫している今日、抄録情報を避けることは不可能である。数が少ない古典は全文をていねいに読むこともできる。しかし今日は、インターネットの長所を活かして数多くの情報を収集し、その中から真正な情報を選び抜くのが現実的であろう。この考証を堅実に実行すれば、雑学の域とはいえ、トリビアをはるかに超越することができる。

インターネットでは、誰もが自由に意見を公開する。無邪気な過誤から論理上の誤謬、手の込んだ改竄(かいざん)や悪意ある捏造(ねつぞう)も紛れている。学問に関しては、改竄や捏造が利益を産むことはないので心配ないが、意図せぬ過誤や誤謬は大いにありうる。記事の真偽判断、内容の考証は欠かせない。雑学を極めるのは、簡単ではない。

*1 石川力山1988. 雑学事件と近世仏教の性格. 印度学仏教学研究, 37(1), 246-252.
*2 つらつら日暮らしWiki (曹洞宗関連用語集)の「雑学事件」の項.

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