通信No. 49 海の言葉43【TriviaとTrivium】

2020年04月30日

海の言葉43【TriviaとTrivium】

トリビアも充実すると教養、知性となるが、それを論ずるのが目的ではない。伝統的な教養教育とトリビアとの言語上の関係を紹介するのが目的である。

そもそも教養とは何か。広辞苑は、英仏語のculture, ドイツ語のBildungに対応する教養は「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。その基礎となる文化的内容・知識・振舞い方などは時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」だとしている。

戦後の日本の大学は、民主的市民の育成を目標として、一般教育のために教養課程を設けた。かつて旧制高等学校が担っていた教育に相似のものであり、実際に旧制高等学校は戦後大学の教養部となった。それが今は解体され、学部がカタカナ語のリベラルアーツ教育を行うようになった。そのいきさつや今なお残されている課題などは、強く関心をひかれるものの、このコラムで扱う話題としては大きすぎる。興味がある人は、文部科学省や日本学術会議での審議結果*1-3をご覧いただきたい。ほかにも、主だった大学ではそれぞれのリベラルアーツ教育の理念をHPに公開している。

さて、教養教育(≒リベラルアーツ教育)とトリビア(=いわゆる雑学)との関係とは何か。

まず、トリビアの発生をみてみよう。古代から中世のローマで、trivium (三叉路) から巡り巡ってtrivia (ありふれたこと) という名詞ができたことは通信No. 47に記した。それは、triviumが、公共、共通、公衆、社会一般などをも意味するようになったからであった。そしてその複数形名詞であるtriviaが、20世紀になってトリビアいわゆる雑学の意味で大衆化したのであった。

次に、教養教育の方をみてみよう。中世のキリスト教世界では、教理を考究する修道院から大学が誕生した。そこでは神学が頂点をなし、その基礎としての哲学、そのまた基礎として自由学芸(リベラルアーツliberal arts)がおかれた。それは古典ギリシアからの伝統に沿って、基礎3科(文法学、修辞学、論理学)と上級4科(算術、幾何学、天文学、音楽)からなっていた。この基礎3科をtriviumといったのである。4科はquadriviumである。tri- は3、quadri- は4、-viumは道(via)の意味である。いずれも、そのままのスペルで英語に取り込まれた。

Triviumは、上級4科へ進むために通らなければならない3本の道という理解とも違和感がない。しかし、「3学科」とか「3本の道」は語義の中核ではない。あくまでも3学科が一体となって基礎をなすという思想がtriviumという単数形名詞に表れている。3学科だからといって複数形にしてtriviaということはない。Triviaといってしまうと、あちらこちらの三叉路に転がっているありふれた事柄、すなわちトリビアになるのだ。

以上が伝統的な教養教育としてのtriviumとトリビアであるtriviaとの言語上の関係である。このようなきわどい違いが生じた背景には、中世ヨーロッパの大学がごく少数の学徒の専有物であったという事実がある。それゆえ、これらの語彙は、英語やフランス語などに取り込まれた後にも長く一般化しなかった。おかげで、近代になってtriviaという語が大学における教養教育とは全く別の意味で一般化することができた。

Triviumは伝統的な学問、triviaは今日の遊びだという構図は、わが国における雜學とトリビアとの関係に似ているとはいえまいか。

*1-3 中央教育審議会2002「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」;中央教育審議会2008「学士課程教育の構築に向けて(答申)」;日本学術会議2010「提言:21世紀の教養と教養教育」

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