通信No. 53 海の言葉47【有毒プランクトンの謎】

2022年10月13日

 英国の地方をドライブすると、よく手入れされた芝生のように美しい牧場が目につく。境界にはワラビbracken fernの群落が生垣風に生い茂っており、それもまた見ものである。日本のわらびは春の山菜だが、英国では人はもとより羊もワラビを食べない。おかげでワラビは大きく育ち、食われて短くなった牧草と際立った対照をなしている。

 家畜がワラビを食べないのは、ワラビがビタミン破壊酵素などを含んでいるからである。欧米人はこれを毒というが、我々はその大部分を灰汁抜きし、残った春の香りとほろ苦さを愛でる。当然、羊にはむりな相談だ。ゆえに、ワラビは被食を免れる。毒の生産は、ワラビの合理的な生存戦略なのだ。陸上には、ほかにもたくさんの毒草、毒キノコ、毒蟻、毒蜘蛛、毒蛇などがいる。その多くは、毒で天敵を排除したり餌生物を麻痺させて捕食したりする。毒素の生産や保持には合理性があり、理に適っている。

 このように、生物は本来合理的に生きているはずだ。人間も、最初はそうであったろう。間もなく自然の法則を探って自然から利益を引き出すことを知り、いつの間にか自然は征服できると驕り高ぶり、過度の科学技術至上主義に陥ってしまった。その結果、今は自然から手痛い反撃を食らっている。謙虚に自然に学び、真に合理的な態様を取り戻そうとする考えが台頭してきたことは、遅すぎたという意見もあるが、望ましい傾向である。

 人間が犯した失態と比較すべきではないかもしれないが、海にも不合理だと言いたくなるような生き方をする生物がいる。その例が有毒プランクトンである。何のために毒化するのか、いまだにすっきりした説明は見当たらない。プランクトンの謎、である。

 2021年の秋、北海道東方の太平洋沿岸域で、渦鞭毛藻カレニア・セリフォルミスKarenia selliformisの赤潮が発生して大量のサケやウニなどが死に、大きなニュースになった。死因がK. selliformisの毒なのか、増殖しすぎたK. selliformisの死後分解で生じた酸素欠乏等なのかは分からないが、海には動物を死に至らしめる「有毒プランクトン」が確かにいるのだ。

 道東海域で死んだサケやウニはK. selliformisの天敵でも餌でもない。その陰で死んだ天敵(動物プランクトン)がいたのかもしれないが、サケやウニは巻き添えを食った、との印象が強い。彼らの死がK. selliformisの利得になったとは思われないからだ。それが謎なのである。有毒プランクトンの中には、自分の捕食者(天敵)は死なないが、その捕食者を捕食する動物(天敵の天敵=味方)を死に至らしめる種がかなりいる。何のためにそんな毒をもつのか、不合理の極み、そう言いたくなるではないか。

 天敵を殺す有毒プランクトンも知られてはいる*1, 2が、それはむしろ少数である。多くの有毒プランクトンは、天敵の天敵すなわち味方になる動物(この中には人間も含まれる)を害するのだ。陸上から観察している人間には、毒で死んだ天敵は見えず、死にもせずに毒化した天敵だけが目につく、そういうことなのかもしれない。そうだとしても、天敵の天敵を害する不合理さの説明にはならない。

 有毒プランクトンの毒成分は単なる代謝産物(老廃物)であり、他の種に働きかける目的で生産するものではない、天敵の天敵が死ぬのは偶然であり、特に意味のあることではない、そんな説明もある。これを、陸上の有毒生物、また、海でも岩礁生態系の有毒生物の毒産生には合理的な適応価値があると説明されることに比べると、有毒プランクトンの状況はずいぶん違うと気づくだろう。海の中には、まだわかっていないことがあるに違いない、そう思わずにはいられない。プランクトンの毒は、これから解くべき謎なのだ。

*1 永井清仁・本城凡夫2016. 渦鞭毛藻Heterosigma circularisquama赤潮の予察, pp. 145-152.「有害有毒プランクトンの科学」今井一郎・山口峰生・松岡数充(編)、恒星社厚生閣、東京。

*2 Chakraborty, S., M. Pančić, K.H. Andersen & T. Kiørboe 2019. The cost of toxin production in phytoplankton: the case of PST producing dinoflagellates. ISME Journ., 13, 64–75.

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