通信No. 55 海の言葉49【生物の学名でのsp. と spp.】

2024年04月23日

 ちょうど50年前、研究航海でホノルルに寄港したとき、ハワイの日本人会主催の歓迎会で若いお嬢さんがプルメリアのレイを首にかけてくれた。甘く優しい香りのプルメリアの花は南の国々で広く愛好されている。最近それを思い出す機会があり、自分で花を咲かせてみようと思い立った。温暖化が進んだ今なら、温室なしでもできそうな気がしたからだ。

 挿し木で育てれば早く花に到達できると考え、挿し穂を買った。プルメリアの挿し穂は大きいので、一本ずつ分包されている。にもかかわらず、ラベルには ‘PLUMERIA (Plumeria Spp.) ’ と書かれていた。最後の Spp.(正しくはspp.) は、複数の種名不詳種の混在を意味する分類学用語である。一本の挿し穂に spp.  はあり得ないが、園芸商には何か事情があったのだろう。

 生物名を属名と種名とで示す二名法は、18 世紀の分類学者リンネ(Carl von Linné)の考案による。日本人の姓名の書き方と似ていて、属名(名詞)と、その種の特徴(形容詞)を組み合わせるのである。山田家の長男は山田太郎、花のように美しい妹は山本花子というセンスである。欧米では姓と名の順序が逆なので、この分かりやすい喩えは通用しない。

 プルメリアにはいくつもの種がある。一般的なのは Plumeria alba, P. obtusa, P. rubra である。Plumeria が属名で、プルメリアを発見したフランスの修道士であり植物学者でもあった Charles Plumier に因んでリンネがつけた名である。これが姓名の姓にあたる。alba, obtusa, rubra  は種小名で、それぞれ、白い、尖っていない、赤いという花の特徴を示しており、姓名の名にあたる。すべてラテン語ないしラテン語化された語である。属名の頭字だけは大文字で、他は小文字、また、すべてイタリックで書くことになっている。同属の複数種を続けて書く場合は、2番目以降の種の属名は略記できる。

 なお、属名は動物分類学でも植物分類学でも genus name であるが、それに続く語は、動物学では species name =種名、植物学では specific epithet =種小名という。

 多種類栽培している園芸圃場では、切り取った挿し穂がどの種の枝だったか分からなくなることもあろう。そういうときには、種小名のかわりに sp. と書く。プルメリアの場合は Plumeria sp. となる。sp. は species の略語で、これは英語なのでローマンで書く。

 種(たね)は、さらに混ざりやすい。混ざったときには、Plumeria alba, P. obtusa, P. rubra の種が混ざっていると書くべきである。だが、忙しい園芸商は Plumeria spp. と書いてしまう。それは間違いで、分かっているかぎりは種名を書くのが正しいのだ。もし、第4の種も混ざっているけれどもその学名は不詳だというならば、Plumeria alba, P. obtusa, P. rubra, Plumeria sp. と書く。学名不詳の種が2種混ざっているなら、最後をPlumeria sp. 1, Plumeria sp. 2 とする。学名不詳種が何種混ざったか分からなくなった場合、しかたなく spp. と書くのである。いずれの場合も、フルスペルの属名の後に小文字で sp. または spp. と続ける。頭字の s は常に小文字である。

 挿し穂は1種に決まっているのにラベルに Plumeria spp. と書いたのは、多分次のような理由によるのだろう。すなわち、栽培しているうちに交配が進み、今となってはどの種とどの種との交雑種なのか、先祖が何種混ざっているのかも分からなくなったので、しかたなく spp. としたのだろう。しかし、本来は、栽培種や交雑種のための命名法に従って書くべきだったのだ。

 学名の書き方は、個人の都合や好みで選択できるものではない。非常に厳格な国際規約で定められているものなのである。植物と動物だけでなく、菌類など、さらに鉱物、多分化学物質にも、それぞれの「国際命名規約」がある。もちろん、海洋生物にもこの規約が適用されるから、上記のプルメリア属の逸話はそのまま海洋生物に置き換えることができる。厳格で不自由だと思うかもしれないが、実はその逆で、混乱を避けるうえでこの上なく実用的なのだ。

 ひるがえって、科学技術報文でキーワードに類する重要語の表記を途中で変えると、読む人を混乱させ、科学的な信頼性を失うことになる。小学校の作文では、同じ表現の繰り返しは幼稚だと習うが、科学技術では記述の一貫性こそが重要なのである。命名規約の精神は、科学技術における基本的な素養と共通しているのだ。

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