通信No. 56 海の言葉50【トレビの泉のOceanus ①】

2024年10月24日

 各国の新型コロナウイルス対策が緩和されて世界的にオーバーツーリズムが起こり、ローマではトレビの泉の観光が有料予約制になると報じられた(2024年9月6日 NHK News Web)。それで思い出したが、先般ラジオでレスピーギ作曲の交響詩「ローマの噴水」が放送されたとき、解説者が、第3曲「トレビの泉」は海神ネプチューンの泉だと言った。ありふれた間違いだと思う一方で、NHKまでが間違うことに驚いた。

 トレビの泉の主像がネプチューンだと誤解している人は海外にもいるが、我が国では際立って多い。日本では、正確に海洋神オケアヌスだという人はめったなく、旅行ガイドブックやインターネット記事などは、ほとんどすべてが間違っている。その原因は何か、なぜ日本ではこれほど間違いが広まっているのか、海洋学徒としては大いに気になり、調べてみることにした。調べた結果、NHKが交響詩「ローマの噴水」の第3曲をネプチューンの泉だと解説した理由は次のように理解できた。レコードやCDの解説書、音楽関連の出版物に限れば、欧米でも同じことが起こっていると推察できる。

 米国メリーランド州の新聞The Evening Sunの百年前の号 (Tue, 28 Dec 1920, p. 12) に、その翌日の夕方ボルチモア市で開催される、トスカニーニ指揮の交響楽団演奏会の予告記事があった。その演目の中に交響詩「ローマの噴水」が含まれていた。作曲されてからわずか4年後、ボルチモアの聴衆のほとんどはこの曲を初めて聴くはずであり、それらの人々のために曲の解説が付されていた。その中の第3曲の解説は、 “The third movement is descriptive of the Fountain of Trevi at Noon. (中略) It is as if Neptune's chariot drawn by river-horses and followed by a cortege of sirens and tritons, were passing on the radiant surface of the water, only to vanish while muted chimes sound in the distance.”となっている。トレビの泉の主像は、海の上を戦車で駆けるネプチューンだというのである。ギリシア・ローマ神話を知悉しているはずの米国の新聞がなぜこんなことを書いたのか、ますます疑問が深まった。

 さらに調べて分かったことは、作曲家レスピーギ自身が楽譜に“Il terzo movimento introduce "La fontana di Trevi al meriggio" ed è introdotto da un trionfo che dà notizie di una recente vittoria dal dio Nettuno.”と説明書きしていたということである。なんと、作曲家自身が誤解していたわけだ。The Evening SunもNHKも、間違いに気付いたとしても、作曲家の説明を書き変えるわけにはいかなかっただろう。因みに、以上のことはすべてインターネットで検索できたことである。

 トレビの泉の写真を見れば分かるが、主像は三つ又のやす (Trident of Poseidon) を持っていない。だから、ネプチューン(ギリシア名ポセイドン)ではないのだ。しかし、彼の周りには大きな水甕があるし、背景のポリーニ宮のファサード上部には古代ローマの水道技術への賛辞が刻まれているから、主像が水を統べる神であるのは確かだ。それがネプチューンではないとすれば、海洋神オケアヌス(ギリシア名オケアノス)でなければならない。それを、ギリシア・ローマ神話に親しんでいたであろうイタリア人レスピーギがなぜ間違ったのか、それがまた気になった。

 第一の理由は、主像が乗る戦車を引いているのが海馬 (hippocamps) であり、それを御するのがトリトン (Triton) だからだろう。従順な海馬と荒々しい海馬、水の恵みと御し難さとを象徴するために、噴水の制作者は2頭の海馬を必要としたのだ。これが、海馬はネプチューンの戦車を引く馬であり、トリトンはネプチューンの子だと知っているレスピーギの誤解を招いたのだろう。だが、ネプチューンの標徴はあくまでも三又のやすである。それを持っていないのだから、ネプチューンであるはずはないのだ。

 第二の理由は、主像の風貌にある。見るからにたくましく、みなぎる活力と栄光に輝いているではないか。これは、広く知られている海洋神オケアヌスの風姿とはちがう。オケアヌスは遠く離れた大洋の中の宮殿で穏やかに暮らしている温和な老神のはずだ。作曲家がこの主像を見て、戦いから凱旋する海神ネプチューンを想起したのは、むしろ自然なことだったといえる。第3曲の勇壮な曲想がそれを証明している。(次号に続く)

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