通信No. 57 海の言葉51【トレビの泉のOceanus ②】
2024年11月01日トレビの泉の制作者たちは、オケアヌスを意図的にネプチューン風に造ったに違いない。
泉の造営を命じたのはローマ法王クレメンス12世、制作に当たったのはニコラ・サルヴィとピエトロ・ブラッチ、完成年は1762年といわれる。その昔古典ギリシア文明を引き継いだローマ帝国がすでに滅び、その再興を目指す神聖ローマ帝国の時代である。時の世界観は古典ギリシアの空想的なものから現実世界へと変貌しており、人々は海洋神オケアノスの存在をほとんど忘れていたであろう。しかし教養人は、トレビの泉の制作者たちがその例だが、古典ギリシアのオケアノスが地球上のすべての水を治める神であったことを忘れてはいなかった。
この噴水の目的はローマ帝国の偉大さを記念するところにあり、そのテーマとして古代ローマの卓抜した水道治水技術が取り上げられた。その中心に立つ主像は、世界のすべての水、海はもとより川や湖、雨、雪、地下水等々を治めるオケアヌスでなければならなかった。ポセイドンはギリシア圏の海神であり、この舞台には、いわゆる役者不足だった。
そもそも古典ギリシアのオケアノスとは、円盤状の世界を取り巻き流れる悠久の大河のことであり、そこにあって世界の水を支配する神もこの名でよばれたのである。ギリシア神話は、神々が三代にわたって主権争いを重ね、最終的にゼウスを頂点とするオリンポス神の世代になって安定したと伝えている。それ以前はタイタン神族(巨神族)の時代、そのまた前は初原の天空神ウラノスの時代であった。オケアノスはタイタン神族の嫡男だったが、温和で戦を好まない彼はむしろゼウスたちの側に立った。それゆえ、オリンポス神の世代になってからも悠久の大河に住まうことが許された。思慮深く穏やかで恵み深い神様だったが、世界の果てに住まう老神であり、人々が日常親しむ神ではなかった。宗教観も世界観も変化したローマ市民からはさらに縁が遠くなり、多くの市民はオケアヌスを忘れていたと考えられるのである。
一方トレビの泉はといえば、神聖ローマ帝国が威信をかけて造営するモニュメントである。イタリア・バロックの建築造形技術を駆使して昔日のローマ帝国の偉大さを描き出す、壮麗な大噴水である。その主像を、忘れかけた老神の姿に造ることはできなかったに違いない。制作者たちは、老神を若返らせ、生命力みなぎる壮年神の姿に造ることにしたのだろう。その姿を見たレスピーギがネプチューンを想起したという事実は、制作者たちの意図が成功したことを物語っている。しかし、あくまでもオケアヌスであり、ネプチューンではない。それを示すために、制作者たちは、この像に三又のやす(Trident of Poseidon)を持たせなかったのだ。
海洋神オケアヌスと海神ネプチューンとをかくも厳しく区別する思想に親しみがないから、日本人は両者を混同してしまう。なぜそうなったのか。彼我の宗教、宗教観が違うから、というのは当然である。それがどんな違いなのかを、想像してみよう。
日本にも、大綿津見神(おおわたつみのかみ)はじめ、岸の近くから沖合まで、また、海の表層から底層までを別けて司る神々、漁業、航海、造船の守護神たち、海幸彦と山幸彦、乙姫様、多くの海の神様がおわす。それぞれ権能や領域を別にする神々である。ここまではギリシア・ローマ神話と似ている。が、記紀の時代から後世へと時代が下がるにつれて、垂迹説、神仏習合・神仏合祀、さらに廃仏毀釈などを経て、多くの日本人の神仏への理解は混乱し、杜撰になってしまった。現代の子供の本に出てくる海神も、浦島太郎を竜宮城でもてなす乙姫、海幸彦にいじめられた山幸彦を助ける大綿津見神や豊玉姫(乙姫?)など、ごく限られている。自国の海の神々への関心が薄れてしまったのだから、ギリシア・ローマのオケアノス(オケアヌス)とポセイドン(ネプチューン)との区別が気にならなくなったのは当然だろう。
欧米の現代っ子も似たようなものと思うかもしれないが、欧米では今もギリシア・ローマ時代の物語は子供に人気があるし、大人にとっては必須の教養である。Neptune, ocean, Poseidon, titan, trident, tritonなどは今も彼らの日常語である。そういう中にいれば、オケアヌスとネプチューンとが別の神だと自然に分かってくるだろう。社会にそういう雰囲気がないうちは、日本が真の海洋国になるのは難しいかもしれない。(トレビの泉のOceanus、了)
本通信シリーズ中の関連記事
2020年1月30日掲載、 No. 46: 海の言葉40【トレビの泉】
2023年1月10日掲載、 No. 54: 海の言葉48【ウクライナの国章Trident of Poseidon】