通信No.21 専門的文書の漢字②

2017年01月31日

【常用漢字表の限界】

1981年3月国語審議会が答申し、同年10月内閣告示第1号として公布された1,945字を収める「常用漢字表」の前文は、「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」だとしながらも、この〈目安〉は尊重されるべきものだと注記している。すなわち、「この表を無視してほしいままに漢字を使用してもよいというのではなく、この表を努力目標として尊重することが期待される」と書いてある。一方で「この表を基に、実情に応じて独自の漢字使用の取決めをそれぞれ作成するなど、分野によってこの表の扱い方に差を生ずることを妨げない」とも述べている。

最後の「この表の扱い方に差を生ずることを妨げない」の意味は次のように解釈できる。
常用漢字表に固執すると、常用漢字と表外漢字とからなる熟語を漢字と仮名の交ぜ書きにしなければならない。そうすると、同音異義語間で混乱が生じ、誤字誤用が誘発され、さらには誤字の方が定着するということすら起こってしまう。このような混乱が予見されるときには、表外漢字の使用をためらうな、という意味であろう。

先日、ある出張者が土産に持ち帰った「熊笹だんご」を一つ頂戴した。おいしかったが、「熊笹」という植物はないので、これは「隈笹」の誤記に違いない。「隈」も「笹」も表外漢字だから「くまざさ」と書くべきところだが、そうこうしているうちに同音の「熊」が連想され、それが誤字として定着した例である。これはこの団子の命名者の遊び心の産物かもしれないが、こういう言葉遊びや際限ないダジャレができてしまうとろが、楽しいといえば楽しいが、日本語の困ったところなのだ。一般的な言葉であってもこういうことが起こるのだから、ましてや専門語においてをや、である。

元来漢語は難しいが、西欧の学問文化を導入するときに造られた専門的な漢語にも、表外漢字がたくさん使われている。これを仮名書にすると、意味が分かりにくくなり、他の語との混同が起こりやすい。たとえば、「かね尺」と書いた場合、現代人は「曲尺」という漢字ではなく「金尺」という間違った文字を想起する可能性が高い。「ぎ装」という表記を直ちに「艤装」と理解する人はかなり特殊な専門家である。「擬装」とか、極端な場合には「偽装」と誤解されかねない。「硝子」を「ガラ子」とか「しょう子」と書いたりすれば、正しく理解される可能性は全くなくなるだろう。

外来語のブリキ(錻力)を「ぶ力」と書く人はいないであろうが、専門語の特殊性を強調するために和語や漢語を片仮名で書く人は多い。その結果、それを外来語と誤解する可能性が高くなる。「標本ビン」や「タンパク質」などがその例である。かといって、専門語を書き下し文ないし説明文風にすると、文字数が増えて一定の書式に収まらなくなる。

このような事情があるので、極端に難解な語を除いて、表外漢字による専門語の使用を容認しなければならない。なかでも、常用漢字の常用外読みである「法(のり)面」や、人名用漢字とされている表外漢字である「潮汐(せき)」などの使用は、専門的文書においては、むしろ推奨すべきである。

Posted on January 31, 2017

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