通信No.23 専門的文書の漢字④

2017年01月31日

【漢字用法の共通ルールの必要性】

国語審議会は「沈澱→沈殿」の書き換えを決めた。では「澱粉」も「殿粉」と書くのかというと、そうはなっていないのである。ある表外漢字を常に特定の代用字で書き換えることは、その表外漢字を廃止することに等しい。国語審議会は、そこまではしていない。代用字は特定の熟語(代用語)に限って使用するとされており、「沈澱→沈殿」の代用は有効であるが、「澱粉」は書き換えられないとされているのだ。こういうことを多数の漢語について覚えきることは容易ではない。座右に虎の巻が必要である。

1946年に定められた当用漢字表は1981年に常用漢字表に改定され、それも2010年に改正された。そのたびに字数が増え、2010年には196字も増えた(同時に5字削除された)。以前は「間げき」、「げん側」、「進ちょく」、「たい積」としなければならなかった語も、2010年以降は「間隙」、「舷側」、「進捗」、「堆積」と書くことができるようになった。漢字使用の拡大を求める社会の要請に応えたのである。受験生は覚えるべき字数が増えたと嘆くだろうが、一般的には、不足感の解消を喜んでいる人のほうが多いにちがいない。

一方、ややこしい事情が残っている。以前は「決潰→決壊」、「研磨→研摩」、「広汎→広範」と書き換えられていた「潰、磨、汎」は、2010年に増えた196字の常用漢字に含まれている。ならば今後は「決潰、研磨、広汎」に戻るのだと思いきや、引き続き代用語の使用が推奨されている。本来の字に戻すべきなのに、そうはなっていないのだ。正しいことが常に最善とは限らないという例である。70年間で定着した代用語の力だともいえよう。こうして、本来の漢語と代用語がともに正しいということになり、今後に混乱の種が残された。本来の漢語と代用語、いずれを採るか、再び組織共通のルールが必要である。

新聞業界や学界も強い影響力をもっている。たとえば、新聞業界は日常語の一部で国とは異なる代用字や代用語を使っている。たとえば、新聞は常用漢字「遵、濫」を「順、乱」に書き換えることにしているため、政府発表の「遵法精神」や「濫獲」が新聞では「順法精神」、「乱獲」と報じられる。新聞は政府よりも生徒や一般人に近いから、多くの国民が「遵、濫」は表外漢字(使えない字)だと思っている。ここにも混乱の種がある。

学界はどうだろうか。学界には表外漢字からなる専門用語が多数あり、いわば別世界の語彙圏を形成している。しかし、学協会は厳格なルールを定めているので、極めて特殊かつ難解な術語を頻用しているにもかかわらず、困難も混乱もない。この水準の専門語には問題はない。一般的な日常語なのに、ときに専門語として使われる語が悩みの種なのだ。そういう語にかぎって一定した用語法の基準を欠いている、そのことが問題なのである。

個々の言葉に関する用語法や表記法を組織のメンバーが個々に覚えることは、合理的とはいえない。組織共通の虎の巻(字典)を作るのが効率的である。それをワードプロセッサーの辞書機能部に組み込めば、より正確に、より早く、より斉一な文書を作成することができるだろう。

なお、漢字用法に関する公的な指針は文化庁や法務省等のHPで、新聞協会やNHKの見解はそれぞれのHPでみられるので、ご覧いただきたい。また、本シリーズでは、漢字の選択とならんで大きな課題である文法と表現法(作文法)には言及しなかったことをお断りする。

Posted on January 31, 2017

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