海の都の物語 「いま甦る水郷古鎮」
2021年08月04日中国の江南地域に点在する水郷古鎮(すいごうこちん)は、ヨーロッパのベネチアに例えられる水の都である。水路が巡り、昔ながらの建物が並ぶ古い町のことで、何百年、何千年以上の歴史をもつ町もある。
古代から江南地域は中国における穀倉地帯であり、米と小麦の一大産地であった。子ども時代に教わった四字熟語に「南船北馬」という言葉がある。「東奔西走」と同義語であるが、中国の交通体系を如実に表している言葉でもある。大量で重量のある物資を運搬するためには、船舶が重要な交通手段となるのは自明の理である。
水路には数多くの観光船が行き来している。右側に見えるのが廊棚で、台湾やシンガポールなど中国人が進出している中華街には同様な通路がある。雨の多い地域にはありがたい
そこで古代中国では、杭州から北京に至る物流のために、そして国家統一の象徴として巨大な運河を築造した。それが京杭大運河と呼ばれる総延長2,500キロメートルの運河で、途中で黄河と揚子江(長江)を横断している。
ちなみに日本には川はあるが、対岸が見えないほどの大きな河や江はない。河も江も本来は象形文字で、源流から海に注ぐまでを天から見た形状を表している。河は北斗七星の形状を、江は板と板を釘で貫くという象形文字でもある。中国の歴史的大偉業は長城と京杭運河が筆頭だが、何百年にわたって実際に役立った事業は、中国全土を網羅する運河だといわれている。
烏鎮東棚地域の見どころを解説する案内板。5カ国語(中国簡体字、旧漢字、英語、ドイツ語、韓国語)で書かれていた。この種の案内はよく整備されている
江南地域、特に上海市と太湖との間には、多くの水郷古鎮が昔の風情を残しながら一大観光地域として再整備されている。特に蘇州市の南には、周荘水郷古鎮を代表とする大小の古鎮が集中している。その理由は、太湖を中心とする水路と湖沼が複雑に絡み合いながら物流ネットワークを形成しているからである。
多分、古代の水郷古鎮は現在の形ではなく、ベネチアのように沼沢地に木杭を打ち込んで鎮(ちん、行政の最小単位)を形成していたのではないかと推察する。また、かつて江南地域は長江の入り江にあって、砂洲か干潟であったと思われる。やがて水郷古鎮が国際的に注目を集めるわけだが、それはわずか20数年前のことである。
かつて運河の水は飲料水であり、食料の確保の場であり、家庭雑排の捨場であった。現在では、この模型のように、すべてのインフラ(雨水、家庭雑排水、下水道、飲料水、電話線、インターネット網、電気など)が地下に埋設されている
中国の経済的発展は、大都市と情報産業都市に集中的に投資されてきた半面、鎮といわれる貧しい農漁村は疲弊して過疎化、高齢化し、いつか消滅する運命にあった。しかし水郷古鎮では、政府の経済的支援と地域活性化策によって歴史的景観保全地域の指定を受け、中国のベネチアとして脚光を浴びるようになった。今では新しいタイプの観光地になっているのだ。
水郷古鎮は、縦糸に水路があり、横糸に住居群があるマトリックスといえる。そこに刺繍のように船があり、食堂があり、宿坊がある。住居は日本の棟割長屋のように隣家同士がくっ付いて建設されているので、火災の際に延焼を防ぐために「馬頭塀」あるいは「風火墻(ふうかへい)」といわれる防火壁(日本では卯建(うだつ))が屋根を突き抜けて堂々と建っている。古鎮の水路に面した通路には、雨に濡れないように「廊棚(ろうほう)」といわれるアーケードが続いている。そのアーケードの途中には人々が集う瓦屋根付きの休憩所が設けられ、日本でいう井戸端会議の場所となっている。また、水郷ゆえの景観は、さまざまな材料を用いた美しい橋のデザインであろう。
水郷古鎮では、大小さまざまな橋が水路をまたいで道と道をつなぎ、そして2000年にわたって集落を結び、やがて北京へと続いている
左側の建物の屋根と屋根の間にある壁が、馬頭塀あるいは風火墻ともいわれる防火壁。この塀の並びが古鎮に独特の雰囲気を醸し出しており、かつて繫栄した様子が伺える
水郷古鎮には、その地域の特色あるお土産が置かれて観光客の興味を惹いている。江南地域は茶の産地でもあり、万蹄胼や東坡肉は豚の各ブロック肉をしょうゆで甘辛く煮たもの。太湖は上海ガニで有名だが、こちらは水郷古鎮の名産品にはなっていない。紹興酒で知られる江南には、醸造酒だけではなくアルコール度数の高い白酒(パイチュウ)もあり、みそやしょうゆの醸造所もある。そして太湖は淡水真珠の産地でもあり、周辺にはそれらの装飾品の露店や店舗が軒を連ねている。このように水郷古鎮は景観ばかりでなく湖南料理という野趣あふれる豊かな味覚を楽しむことができる水の都として見直され、世界的に注目される観光地となったのである。
周荘古鎮の入り口。近くには多くの土産店や民宿、ホテルが建っている。水路に沿って小ぎれいな店が並んでおり、太湖で養殖された淡水真珠が手ごろな値段で売られていた
烏鎮(うちん)で最初に作られた列叙昌醬園という、みそとしょうゆの製造販売店。大豆を天然発酵させるためのカメが中庭にズラッと並べられており、発酵臭が中庭を覆っていた
同里古鎮にある「珍珠塔景園」。明代の高級役人の邸宅だったもので、神社仏閣、王宮などにも見られる、先が尖って天を突くような船形屋根が郭楼を飾っている